ハーツ・オブ・ジョナサン(ゲーム小説)
自由を得るため、奴隷のよもぎは変態親子に‘ハーツ’で闘いを挑む。
そこに乱入する謎の人物、ジョナサン。彼の目的は一体?
文芸サークルの、他の人とプロットを交換して小説を書く、という企画に参加し、
そこで出した作品の前半。
偉大なるエログロ作家である後輩のプロットを元にしているものの、
アレンジし過ぎてほぼ別物に。
ドラマ「LIAR GAME」をオマージュしまくってます。
トランプゲーム‘ハーツ’をご存知の方も、そうでない方も
ご覧いただけると嬉しいですm( )m
時は宇宙航海の世!衛星帝国の地下、そこでは欲に塗れた資本家層(ブルジョワジー)共の、醜い戯(たわむ)れが繰り広げられていた!
〈だ、ダイヤの3です〉
【あらあら、ダイヤが手札にありませんわ。では、ハートのK(キング)を】
巨大な薄暗い賭博場、赤黒いテーブルの周囲に、四人の男女が集っていた。煌びやかな衣服を纏い、下卑た笑みを浮かべて対戦者を観察する、父と娘。首と手足に鎖を巻かれ、焦燥し切った表情で親子を睨みつける、桃の髪の女性と、銀髪の青年。対照的な二組が、それぞれ向かい合って座っている。四人の手元、そして机の上には、トランプのカードが。
手札と場のカードを交互に凝視し、青年が苦悶に顔を歪める。その側で、父親は目線を下に向けながら、小さく笑っていた。そして、顔を上げて青年を急かす。
“まだ決まらないんですかぁ?もう47秒も貴重な時間が過ぎてしまいましたぞぉ”
《分かってる!くっ、ダイヤの4だ!》
“フホホ、実はわたくしもダイヤが尽きておりましてねぇ”
そう言い、父親は手札からゆっくりとカードを持ち上げる。臭い息を吐き出しながら、机上にカードを放り投げた。
“では、振り込んでおきますくぅあな……スペードのQ(クイーン)”
《な、ん、だと?》
青年の目が見開かれ、がくがくと顎が揺れる。場にあった四枚のカードが、機械によって青年の元に集められる。
(プレイヤー:雪輝、マイナス14ポイント)
机の中央から、機械の無機質な音声が響く。頭をかきむしり、銀髪の青年が机上に倒れ伏した。桃髪の女性もうなだれ、手の震えを必死に鎮めている。
【ひょー!ヘコんだ顔が超セクスィ~ッ!!やだ~、もう、興奮しちゃうじゃないンッ】
ドレスから覗く胸を揺らしながら、くねくねと身体を蠢かせ、娘が悶える。テーブルを囲む有象無象の輩たちが哄笑を上げ、カジノ場の中が喧騒に満ちる。
「さくら姉(ねぇ)!ゆき兄(にぃ)!」
観客の中でただ一人、三枝(さえぐさ)よもぎは悲鳴を上げた。盤上の男女と同じように鎖で繋がれ、端整な顔立ちは恐怖に歪んでいる。
一方、テーブルでは、遊戯が続けられていた。それぞれが最後の札を出し合う。青年がハートの4、父親がハートの10。
《よし、これなら……!》
〈ごめん、雪輝……〉
女性が開いたカードは、ハートのJ(ジャック)。
《ッ!?》
【あ~、やっちゃった~!雪輝君、ひど~い。あ、私はハートの9よぉ】
(プレイヤー:さくら、マイナス4ポイント)
“おいおい娘ぇ、さくらちゅわんをあんまり虐めるなよぉ”
【ごめんなさいお父様ぁ、でも、あんまり二人が弱すぎるものですからぁ。アハハハハ!】
鼻に付く声で、親子が囁いた。全員のカードが尽きると同時に、機械の宣告が響く。
(第5ラウンドの結果、羽波(はなみ)親子:計マイナス20ポイント。三枝姉弟(きょうだい):計マイナス110ポイント。片方のチームのマイナスが、100を上回りました。次のラウンドは行われません。ゲームセット。羽波親子の勝利です)
【あらぁ~!?しょぉぉぶが、ついちゃったあああぁ!!】
娘が狂ったように叫び、机の上で身体を揺れ動かした。
(得点の差額、90ポイント。マイナス1点につき一億円のペナルティ。均等に配分し、三枝さくら、三枝雪輝の両名に、四十五億円の負債が科されます)
《ああああああああああああああああああ!!!!!》
青年が膝から崩れ落ち、床に拳を叩き付け、慟哭する。その向かい側では、女性が顔を両手で覆い、嗚咽を漏らしていた。
“ホヒヒィ!残念どぅあったねぇ、自由を手にすることがどぅえきなくて……”
愛する家族が食い物にされる様子を、ただ見ていることしかできない。強く握りしめたよもぎの拳に、血が滲んだ。
◆
さくら、雪輝、よもぎ。宇宙の隅の小さな星で、三人の姉弟(きょうだい)は平穏に暮らしていた。早くに両親を亡くし、助け合って生きてきた。いつも一緒にいて、周りからは‘だんご三姉弟’と呼ばれるほどだった。
しかし、戦争が全てを変えてしまった。故郷は他の星に侵略され、植民地の奴隷として彼らは連行された。
肉体労働を強いられる、過酷な日々。だが、ある時一人の資本家(ブルジョワ)が彼らに目をつけ、話を持ちかけた。
“今度、貴族の間である遊戯が行われるのだがぬぅえ。それに勝つことがどぅえきれば、君たちの所有者に掛け合って、自由にさすぅえてあげよう”
《本当か!?》
“もちろぉん、負けた時にも相当の代償を支払ってもぉらうがねぇ”
〈何を、すればいいの?〉
“なぁに、難しいことじゃないさ。使うのは、たったこれどぅあけだ”
そう言うと、資本家(ブルジョワ)は懐から、トランプの束を取り出した。表面に描かれていたのは、ハートのA(エース)。
“‘ハーツ’を、知っているかね?”
[ハーツ:ルール説明]
ハートのカードを取るほど不利になる、減点式のトランプゲーム。プレイヤーは四人。
ジョーカーを除く五十二枚のカードが、各プレイヤーに十三枚ずつ配られる。1ターンに一枚ずつカードを出し合い、13ターンで1ラウンド。
1ターン目は、まずクローバーの2を持っている者がそれを場に出す。続けて時計回りに、全員がクローバーのカードを一枚ずつ出す。
最も強いカードを出したプレイヤーが、場の四枚のカードのポイントを得て、ターン終了。カードの強さは、A(エース)→K(キング)→Q(クイーン)→J(ジャック)→10→…→2の順。
2ターン目以降は、前のターンで勝ったプレイヤーから開始。好きなカードを一枚場に出す。ただし、ハートのカードは解禁(ブレイク)(後述)されるまで出すことができない。残りのプレイヤーは、最初のカードと同じマークのカードを一枚出す。カードの強さを比べ、最も強いプレイヤーに得点。これを、全員の手札がなくなる13ターンまで繰り返す。
場のカードと同じマークのカードが手札にない時は、好きなカードを出すことができる。ただし、マーク・数の大きさに関係なく、最弱の扱いになる。この時、ハートのカードを場に出してもいい。場に初めてハートのカードが出された時、ハートが解禁(ブレイク)となる。以降は、自由にハートのカードを出せるようになる。
ポイントがあるカードは、ハート全てとスペードのQ(クイーン)だが、すべてマイナス。ハート一枚につきマイナス1ポイント、スペードのQ(クイーン)はマイナス13ポイント。他のカードにポイントはない。
ポイントは各ラウンドの終了時に蓄積されていく。誰か一人のマイナスが100を越えるまで、ラウンドを繰り返し行う。最終ラウンドの終了時点で、最も減点の少ないプレイヤーが勝ち。
十四枚のマイナスカードをいかに避けるかが鍵だが、注意すべき‘特殊ルール’がある。
1ラウンド中に、一人のプレイヤーが十四枚のカードをすべて獲得した場合。ボーナスとして減点が0になり、その代わりに、他の全員にマイナス26ポイントが科される。得点カードを一人に独占させるのも、防がねばならない。
“今回やってもるぁうのは、二対二のチーム戦だ”
そう言うと、資本家(ブルジョワ)は変更ルールを提示した。
・同チーム二人のポイントを合計して、チームのポイントとする。片方のチームのポイントがマイナス100に達したラウンドで終了。
・‘特殊ルール’が発動した場合、達成プレイヤーと同チームのプレイヤーには、マイナス26ポイントは科されない。
・同チーム二人で合わせて全得点カードを獲得した時も、‘特殊ルール’が発動する。
“お相手するのは、私と、私の愛娘どぅあ。もし1点でも勝利することがどぅきれば、君たち三人はめでたく釈放だ。たどぅぅあし!”
資本家(ブルジョワ)が勢いよく声を発し、臭い唾液が飛び散る。
“そちらが負けた場合、差額1ポイントにつき、一億円をいたどぅあく”
「い、一億!?」
〈そんなお金、どこにも……〉
“心配いらぬぁいよ、今よりもっともっといっぱい働いてもらうだけさ。‘いい商売’を紹介してあげよう、すぅぐに稼げるさ”
《無茶苦茶だ!》
掴みかからんばかりの雪輝を、資本家(ブルジョワ)はやぼったい目で睨み付ける。
“おやおや、奴隷の分際で口答えすぅる気かね?わたすぃの慈悲ぶくぁーい心で、と・く・ぶぅえ・つにチャンスをあげようというのだよ?不満なら、今すぐ労働に戻って貰おうくぅあ?”
長い沈黙が三人を包む。そして、雪輝が口を開いた。
《イカサマは、無いんだろうな》
“侮辱も大概にしてくれたうぇよ。試合は貴族公式の神聖なる賭博場、大勢の観客の中どぅえ行われる。ボディチェックをはじめ、監視は完璧。第一、不正などあったら、公平なゲームを楽しみにしているお客に何と言うぁれるか”
《……わかった。挑戦する》
「ゆき兄!?」
《俺たちの中から、二人出ればいいんだな。さくら姉》
振り返る雪輝に、さくらも真っ直ぐ正面を見据え、頷いた。
《俺とさくら姉で参加する。だから、俺たちが負けた時も、よもぎには負債を科さないでやってくれ》
“ま、いいだろう。たどぅあ、君たちだけで借金を返せればの話だがね、グフフ!”
「だめだよ、そんな……!」
寄りすがるよもぎの頬に触れ、さくらが優しく囁く。
〈私も雪輝も、もう大人。幸せな時間も過ごせたし、覚悟もできているわ。でもよもぎ、あなたはまだ幼い。もっとたくさんの幸せを知って欲しい〉
《なあに、心配すんな、二人とも。1点でも勝てればいいんだ。たかだかゲーム、軽々と突破してやるさ》
希望を見出して、三人はお互いを励まし合う。その光景を眺め、資本家(ブルジョワ)は満足げな笑みを浮かべた。
◆
そうして、三人は賭博場へと足を踏み入れた。よもぎの見守る中、さくらと雪輝は死力を尽くして闘った。
だが、対戦チーム、資本家(ブルジョワ)の羽波親子の、緊張の欠片もない態度。そして、狡猾な連携プレイ。焦りと苛立ちを募らせ、完全に向こうのペースに呑まれてしまった。
“四十五億の借金だぁぁって!?どうするのぉ?返せるのぉ!?うひょー!”
狂喜する父親に、雪輝とさくらの二人は返す言葉もない。地に伏せる二人を見下ろしながら、娘が父の後を継ぐ。
【お金で払えないなら、身体で払ってもらうしかないわよねぇん。二人とも、うちで働いてもらうわ!】
《最初から、それが狙いか……!》
唇を噛み締め、親子を睨みつける雪輝に、娘は呆れた様子で首を振った。
【まあまあ、品の無い反抗的な態度……何を抜かすんですの、これは公平なゲームの結果ですのよ。恨むのなら、ご自身の手腕を恨むのね】
‘公平な’の部分に特に力を入れ、娘が言い放つ。その横で、父親はニタニタと笑みを浮かべ、雪輝の元へと擦り寄った。
“な、なぁあに、簡単なお仕事さぁ。ちょっと夜の間にわたくしと語るぃあってくぅれるでけでうぃぃんだよ!グフ、グフフフフ!!”
不気味な猫撫で声を発し、雪輝の両手に頬擦りをする。
《っ!?よ、寄るな!》
【あらあらお父様、なにも公(おおやけ)の場で隠れた性癖をお披露あそばさなくても】
“し、しょうがないだるぅお、もう公的な手段だけでうぅは収まりがつくぅあんのだから、ハァハァ!そ、それにお前だって、さくらちゅうぁんがお目当てなんだるぅお?”
【ああん、おっしゃらないでそんなこと、必死に我慢してるぅんですのにぃ!……ああ、今すぐ剥いて食べてしまいたいわぁ!!】
〈ひっ!?〉
頬を伝う涙を、息を荒げた娘に舌ですくわれ、さくらの顔が引きつる。
“怖がらなくてうぃぃさ、二人とも、しこたぁまお世話ぁしてあげるからねえ!”
「……っ!」
鎖を鳴らし、よもぎが跳ね起きる。周りの制止を振り払い、兄と姉の元に駆けていく。
〈よもぎ!?〉
“な、なんだぁ!?”
「さくら姉とゆき兄から、離れろ……!」
叫びながら、よもぎは客席の柵を乗り越え、懐に手を伸ばしかけた。
《よせ、よもぎ!》
それを、雪輝が鋭く恫喝する。よもぎの身体が震え、歩みが止まった。それを見届けると、雪輝は大きく息を吐き、父親を睨み付けた。
《俺たちはどうなってもいい、だが、よもぎの件は守ってもらうぞ。今すぐよもぎを帰せ》
「そんな、駄目だよ!」
なおも食い下がるよもぎだが、黒服の男たちに押さえられる。鉄枷(かせ)に首を絞められ、苦しげにうめく。
“はぁ?命令できる立場と……”
軽薄な笑いを浮かべていた父親だが、雪輝の目の迫力に圧倒され、黙り込む。しばらく考えた後、肩をすくめながら口を開いた。
“わかったわかった、お望み通り、よもぎとやらは返すさぁ。その代わり、毎晩わたくしの相手をするんだぞぉ”
雪輝の拳が固く握られ、強く震える。
【ご主人様に向かって、その反抗的な態度は何!?】
《ぐっ!》
娘に命じられ、部下の黒服が雪輝の鎖を掴んで引っ張り、雪輝を地面に引き倒した。さらに、痩せ細った腹を容赦なく殴りつける。雪輝の口から血が漏れ、その身体は力なく地面に倒れた。
【奴隷の分際で!徹底的に教育してやらないと!】
“いいさ、そんぐらい反抗的な方が、こちるぅあも萌えるしのぉ。ウへへへへェ!”
【もぉ、本当お父様ったら、マニアックなんだからぁ。まあ、その方が調教しがいもあるってもんよね】
雪輝の頭を踏みつけ、娘が歪んだ笑みを浮かべる。
押さえられながらも、よもぎはなおも抗うことをやめていなかった。ふと、さくらが自分に、眼差しを向けていることに気付く。
愛する姉は、目に涙をいっぱいに溜め、微笑んでいた。
〈(あなたは、幸せになりなさい。元気でね)〉
姉の声を、よもぎは確かに聞いた。よもぎの頭の中で、何かが弾けた。
「待って!待ってください!!」
“んんぅ?”
よもぎの凛とした叫びに、全員の目が集まる。
「私にも、勝負させてください!」
《よもぎ!?よせ!》
〈駄目よ!あなただけでも逃げなさい!〉
必死に訴える雪輝とさくらを黙らせ、娘が頭(かぶり)を振る。
【はあ?今更何言ってんの?このゲームは二対二の勝負。敗者のこの二人にもう、ゲームに参加する資格はない。どちらかの四十五億円を今完済するか、もう一人奴隷を連れてきてから、そういう事は抜かしていただけないかし……】
思わず、娘は言葉を失った。地面に頭を擦り付け、もみじは土下座していた。痩せ細った体を、さらに小さくして。
「お願い……お願いします……」
涙をいっぱいに溜め、父と娘を見つめる。
【まぁ……!】
“お、オゥフ!”
胸元を押さえ、よろめく親子。
【……気が変わりましたわ。そこの奴隷!よもぎ、と言いましたわね?わたくし専属の奴隷になるのでしたら、二人の負債を帳消しにするだけでなく、完全に奴隷から解放してあげてもよろしくてよぉ?】
〈っ!!!〉
《き、貴様……!》
【なーにが不満なのよ、解放したげるって言ってるのに。到底勝てる見込みのない勝負なんかするより、こっちの方がよっぽど建設的だと思うけど?】
“あーーん、ずるうぃ!わたくしが先に言いたかったぁ!”
【こういうのは早い者勝ちでしてよ。それに、なにも独占するとまで言ってませんわ。たまにはお父様にもお貸ししますわよぉ】
“オオ、さすがぁはわが娘!話が分かる!”
一通り騒いだ後、親子は舐めるようによもぎを見回し始めた。
《〈よもぎ……!〉》
二人の家族の眼差しに、もみじの瞳から、こらえきれない涙がこぼれる。それでも、笑顔を作り、二人に微笑みかける。そして、深呼吸をし、毅然と親子に向き合う。
その唇が今、開こうと――
『ちょっと待ったぁ!!』
頭上から、力強い声が響き渡る。
【な、何なの!?】
辺りを見回す一同の側に、何かが着地した。瞬時に賭博場内に現れた人物に、全員が眼を白黒させる。
翼のあしらわれた三角帽子から、艶やかな銀の長髪が除く。ダークグレーのオーバーにロングズボン、マントを着用し、胸元のベストは前に大きく盛り上がり、丸く膨らんでいる。
“何者だぁ!”
瞬く間に、黒服に取り囲まれるが、乱入者は両手を上げ、へらへらと笑った。
『落ち着いてくれよ、鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔しちゃってさ。これでも、客人なんだぜ』
そう言い、金色に鈍く光る、賭博場の会員証を掲げる。それを見た父親は、ひとまず黒服の警戒を解いた。
『オレはただ、そいつに協力しようと降りて来ただけさ』
よもぎを指差しながら、乱入者は言った。
“協力、だとぉ?”
『このいじらしい奴隷ちゃん、ハーツで勝負してえのに、仲間がいねえんだろう?せっかく本人がやりてえって言ってんだ。一人足りねえってなら、オレが嬢ちゃんの仲間になるぜ』
夢でも見ているのかと、よもぎは呆然と乱入者を見つめる。金切声をあげ、娘が足をばたつかせる。
【余計な事すんなよぉ!せっかく話がまとまりかけてたのにぃ!部外者は引っ込んでなさい!!】
『なんだよ、冷たいな。もちろんタダとは言わねえ。前金は払うさ』
乱入者は胸元から金貨袋を取り出し、テーブルの上に放り投げた。鈍く重い金属音に、父親の目の色が変わる。
“ゲームに負けた際は、負債もちゃぁんと払ってくれるんだろうなぁ?”
『もちろんさ。余興に参加させてもらうんだ、条件はあの奴隷と同じで構わねえ』
父親の顔色を見て、必死に娘が食い下がる。
【騙されないでお父様!こいつ、三人を横取りするつもりですわ!】
チッ、チッ、と乱入者が舌を打ちながら、人差し指を左右に振る。
『違う、違う。奴隷などに興味はねえ。オレはただ、この余興を面白くしたいだけだ。そちらが勝てば、奴隷も金もお渡しするさ。こっちが勝った時は、その奴隷の好きにするといい。その辺のいざこざは御免だ』
なおも口を開こうとする娘を、父親が制す。顎を撫でながら、乱入者を値踏みするように眺め、口を開く。
“わかった。お望み通ぉり、よもぎちゃんとお前のチーム戦に応じよぉ。ただ、よもぎちゃんの要求は‘二人の奴隷を解放すること’。それを天秤にかけるぅつもりなら、まずこの二人の奴隷にかかった、90億円の負債を全額返してぇもらわんとな。どぅえなければ、とても安心してゲームを進めるぅあれんよ”
《こいつら、どこまで……!》
非難の目線など、どこ吹く風。面の皮厚く、相手を嘲笑う。一方の乱入者は特に動じる様子もなく、あっけらかんと答える。
『そんな金、今はとても持ち合わせてねえよ』
親子が呆れて首を振りかけた直後、乱入者が思いもよらない提案をした。
『だから、その負債を引き継いだ形でハーツをやろうぜ。前の対戦の差額は90ポイントだったよな?なら、こちらのチームはマイナス90ポイントからスタートで構わん。それで、いったん二人の負債を0の扱いにしてくれ』
「えっ!?」
状況を見守っていたよもぎは、改めて乱入者の顔を凝視した。
【人を馬鹿にしてますの!?そんなの、勝負にもならない!1ラウンドで終了ですわ!】
『そこをなんとか頼むよ~!』
唐突に素っ頓狂な声を上げる乱入者に、娘の口がぽかんと開いた。
『恥ずかしいから言いたくなかったけど、オレずっとこの賭博場に憧れててさぁ!ほらオレ、全然金持ちっぽくないだろ?会員証を作ってもらうのだって苦労したんだぜ。すべての博打好きにとって憧れの舞台で、どうしても一発打ってみたいんだよぉ』
表情をころころと変え、おどけた調子で必死に懇願する。その滑稽な姿に、親子も毒気を抜かれる。
『一ゲームだけでも打てたら、オレはそれで満足するンだ。ねね、いいだろ?負けた時点で、借金してでも全額払うからさあ』
“……まったく、本来はお前のような者が来る場所じゃあないんだぞぉ”
【えぇーー!】
渋々ながら了解した父親に、娘が悲鳴を上げた。
◇
【どういうつもりですの、お父様!あんな馬の骨に、みすみす奴隷を手に入れるチャンスを明け渡すなんて!】
“まあ、いいじゃないかぁ。大方、頭のいかるぇた博打バカ、ってとこだろう。見ろよ、この金貨。ざっと二億はあるぅぜ。バカだが金は持ってるぅらしい、いい金づるだ。ちょっと遊んでやったら、すぐ泣き出すぃて帰るさ”
打ち合わせがしたいと言い、机の向こうで、乱入者はよもぎと何やら話しこんでいる。その様子を眺めながら、父親はしきりに手元の金貨を弄っていた。
“それに、わたしらが負ける訳がない。この賭博場には、そのための仕掛けが張り巡らされてるんどぅあからな。どっちみち、奴隷はわたしらのもの。猟でカモシカを仕留めたら、ハトも飛び込んできたみたいなもんさぁ”
【ありもしない希望にすがって、可哀想な奴隷ねぇ。アハハハハハハ!!】
扇情的な身体を揺らし、娘は殻を抱えて笑った。
◇
「あなたは、一体……」
『おっと、自己紹介がまだだったな。オレはジョナサン。ジョナサン・P(ピジョン)・ナナセ。ま、通りすがりの渡り鳥さ』
「ジョナサンさん、どうして、私のことを?」
『呼び捨てでいいって、語呂悪いし。さっきも言ったろ、オレは賭け事が好きなのさ。ま、そんな事より』
よもぎの肩に手を乗せ、耳元に口を近づける。
『さっき、オレがマイナス90ポイントの交渉をした時、お前は悲鳴を上げたな。その通り、この状況は絶望的にマズい。正攻法では無理だ』
皆の前では見せなかった、突き刺すような眼差し。瞳の奥に宿る炎が、よもぎの心を捉える。
『お前の姉弟(きょうだい)が挑んだゲーム、オレの見る限り、配られるカードにイカサマは無かった。四人のカード配列は正真正銘のランダム、ゲーム中のすり替えもなかった』
よもぎはじっと、ジョナサンの話に聴き入る。
『コンビネーションの方も、あの二人は決して負けてはいなかった。腕は未熟とはいえ、感覚を掴める中盤からなら状況をひっくり返すことも可能だった。だが、戦局は変わらず、圧倒的な点差をつけて、二人は敗れた』
朱色の瞳だけが、よもぎの方を向く。
『敗北の、一番大きな要因は、何だと思う?』
「……パニックに、なったこと?」
『近いな。真の原因は、混乱が引き起こした状況にある。ゲームの際の、二組の違いを思い返してみろ。あいつらが平然と手札を出せた理由、二人の混乱が招いた結果。死中に活を求めるなら、そこだ』
首をひねるよもぎに、ジョナサンは言葉を続ける。
『オレはお前を助ける訳じゃない。ただ、お前の意志に従うだけだ。もし、途中でお前の心が折れたと感じたら、オレは容赦なくお前を見棄てる。このゲームの行方を決めるのは、お前だ。お前がどれだけ奴らに刃向えるかが、勝敗を分ける。お前の、そして、あの二人の運命もな』
口を真一文字に結び、よもぎが頷く。ようやく、ジョナサンは笑顔を浮かべた。
『いい顔だ。では、お前の決意に免じて‘助言’と‘戦略’を与えよう。まず‘助言’。ハーツは運も必要だが、大半は読みと度胸の勝負だ』
そう言い、ジョナサンは自分のこめかみを指で叩いた。
『読みは頭脳戦。奴らもオツムが上等な方とは言えないが、経験と年齢の点から、やはりお前は不利。ならば、鍵は度胸だ。間合い、と言い換えてもいいかもしれないな』
よもぎが目を見開き、顔を上げた。
『気付いたか?それこそ、オレたちが奴らに勝てる唯一の点だ。おそらく、奴らの手を破る糸口にもなるだろう』
親子に一瞬目線を向け、言葉を続ける。
『そして、戦略だが。ここからは具体的な内容を伝える。いいか――』
◆
【遅い、何をやってたのよ!】
『悪い悪い、ちょっと緊張してブルっちゃってさ』
よもぎとジョナサンの二人が、親子の待つテーブルに着く。
《よもぎ!》
〈やめて!今からでも勝負を降りて!〉
黒服の連行を振り払い、さくらと雪輝が呼びかける。
【うるさい外野ね、どこかにやってくださる?】
「少し、時間をください」
よもぎが手を上げて立ち、二人に微笑みかける。その眼差しの強さに、二人は驚く。
「大丈夫、必ず、勝つから。見守っていて」
そして、頭を下げ、再びテーブルに着く。それでも抗おうとする雪輝を、さくらが抑える。
《さくら姉!?》
〈……信じる、しかないわ〉
よもぎを見つめたまま、二人は観覧席へと連れられていった。
【「必ず勝つ」とは、よく言ったものね。ウケる!】
“こらこら、はしたないぞ。じゃあ、始めるか。約束通り、そちらのマイナス90ポイントスタート、でいいなぁ?”
ジョナサンに向けて話しかけるが、反応はない。代わりによもぎが頷く。
“(ふん、生意気な。ゲーム終わりの無様な姿が見物だな)”
(各プレイヤーに、十三枚のカードを配布いたします)
機械によってトランプのシャッフルが行われ、13枚のカードが、プレイヤーの手元に置かれる。
手元のカードを確かめながら、父親と娘はこっそり、耳奥のマイクロ端末を起動させた。互いに通信を行い、小声で情報を交換し始める。
“ハー三、スペ五、ダイ二、クロ三。ハートはK(キング)……”
『おい、まだ始めないのか?』
意識を戻して慌てて顔を上げると、よもぎとジョナサンがこちらを見つめていた。
“もう確認は終わったのかぁ?”
『ああ、早く始めようぜ、待ちくたびれた』
“(カードが配られてまだ五秒も経ってなうぃぞ、これだから素人は。仕方ない、あとで言うぉう)”
娘に一瞬目配せし、二人を見据える。よもぎも、ジョナサンの方を向いた。二人の目が合い、同時に頷く。
【一瞬で、ケリをつけてあげるぅ】
“チミがもうじきワシらのものに……ウヒョヒョ!”
四人が手札を構え、
(‘ハーツ’第1ラウンド、スタートです)
機械の無機質な音声が、ゲームの始まりを告げた。
◆
(第1ターン、クローバーの2を所有するプレイヤーから、時計回りにカードを出してください)
【あら、私ですわね】
娘のクローバー2に続き、よもぎ→父親→ジョナサンの順に、J(ジャック)・4・A(エース)を出した。
(ポイントの変化はありません。第2ターン、プレイヤー:ジョナサン、カードを出してください)
『スペードJ(ジャック)だ』
【うーん、どおしましょう?よ~し、スペードの9ですわ】
「スペード7」
“むぅ、スペードのA(エース)ですぞぉ”
(ポイントの変化はありません。第3ターン、プレイヤー:羽波平(たいら)、カードを出してください)
“おォン、私ですか?……クローバーの5で”
『クローバー7』
【えー……クローバーの9】
娘のターンが終わったのを見計らい、父親は再び耳奥の端末を起動し、娘と会話を試みる。
“(おい、聞こうぇるか。カード構成を教えろ)”
【(えっと、スぺード……)】
「カードを出して」
“はっ!?”
またも密談を遮断され、父親は慌ててよもぎの方を振り返る。
(ポイントの変化はありません。第4ターン、プレイヤー:よもぎ)
機械のアナウンスが流れる中、よもぎの前には、ダイヤのA(エース)が置かれていた。
“(はぅぁ?このターンはクローバーのはず……いや、今、機械が4ターンと言ってうぃたな。こいつ、このわずかな間に前のターンを終わらせたのか!)”
自分を見据える鋭い目線に気付き、お茶を濁す。
“いやはや失敬。ちょっと戦法を練っていたのでね。ちなみにさっきのターン、キミは何のカードうぉ?”
「クローバー10で私の勝ち。早く」
“おお、こわいこわうぃ……ダイヤか、9で”
『ダイヤ8』
【‘スピード’でもやっているつもりですの?ちょっとは考えなさいよ!】
瞬時にカードを繰り出したジョナサンに、娘ががなり立てる。娘も思うように交信できず、苛立ちを募らせていた。
『そうか?あんたらが遅すぎるんだろ。貴族のくせに意気地ないねぇ』
【っ!?おだまりなさい!ダイヤの5!】
“こらこら、ゲィムは楽しくやろうじゃないくぁ”
声を荒げる娘をなだめ、父親はわざとらしい笑顔を浮かべた。だが、父親の内心にも、違和感が生まれていた。
“(どういうつもりだ、こいつら?これまで食い物にしてうぃた連中は、ちょっと揺さぶってやれば、すぐ動転すぃて動きが止まったのに)”
一方、よもぎは場のカードを見据えながら、試合前にジョナサンから教わった‘戦略’を思い返していた。
◇
『まず、‘守り’の戦略だ。心配すんな、そんなに難しいことじゃねえ』
『要するに、スペードのQ(クイーン)とハート十三枚を取らなきゃ勝ち。この十四枚が現れた時、いかに低いカードを出せるかだ』
『厄介なのは、初めの奴が出したマークのカードを一枚でも持っていたら、絶対出さなきゃいけない、ってルールだ。例えば、場にスペQ(クイーン)が出てる時に、手札にスぺードがK(キング)しかなかったら、目もあてられん』
『だが、このルールを利用する手もある。まず、ゲーム序盤。最初は全員、たくさんカードを持ってる。どれかのマークが切れてる、なんてことはまずない。どんなに高いカードを出そうが、ハートが解禁(ブレイク)される可能性はほぼ0。そこで、戦略一:序盤はとにかく、デカいカードを出せ』
◇
(ポイントの変化はありません。第5ターン、プレイヤー:よもぎ)
「ダイヤK(キング)」
ジョナサンの‘戦略’に従い、瞬時にカードを選び出す。
“お二人も、もう少しじっくぅりプレイされてはいかがか?あまり早くゲームが終わっては、観客も不満だろぉう”
苦笑し、父親は手札を見つめ、顎に手を当てた。
“次は私からか、ちょっと考える時間をもらえるかぬぇ?”
そう言い、考えるふりをして口を手で包み、娘と交信を行う。娘も手札で口元を隠し、手札の内容を教え始める。
【(残りハー四、スペなし、ダイ二、クロ三。ハートはA(エース)、J(ジャック)……】
『カードの強さってA(エース)、K(キング)、Q(クイーン)、J(ジャック)の順だよな?確認なんだけど』
ジョナサンの問いかけに、親子の通信が遮断された。
“当たり前だろぉうが。話しかけないでくれたまえ”
舌打ち混じりに返し、父は再び娘の言葉に耳を澄ます。
【(ダイヤは10、Q(クイ)……)】
『2ってA(エース)より弱かったっけ?』
“うるさいぞ!!集中でくぃん!”
『悪い悪い。けどさ、まだ?オレたちも観客も待ちくたびれてるぜ』
客席から、続きを促すコールが起こる。
“(まあいい、だいたいの情報は聞くぇた。すぐに終わらせてやるすぁ)”
溜息を吐き、父親は渋々カードを出した。
“ダイヤの7”
『ダイヤ4だ』
【え、ちょ、ちょっと待】
「まだ?」
『あ~、日が暮れちまうぜ』
【うっっるさい!!ほら、ダイヤ10!】
顔を真っ赤にして、娘は場にカードを叩きつけた。
(ポイントの変化はありません。第6ターン、プレイヤー:よもぎ)
【ほら!とっとと出】
「クローバー8」
急かしを中断され、娘は地団駄を踏む。それに全く反応せず、よもぎは自分の手札を見つめる。そして、手札のクローバーが尽きたのを素早く確認した。
◇
『最初は大きいカードから出せ、とは言ったが、スペードは例外だ。戦略二:一~三番手の時は、スペ―ドA(エース)・K(キング)は絶対に出すな』
『場のマークがスペードの時、当然スぺQ(クイーン)も自由に出せる。Q(クイーン)もかなり強いんで、持ってる奴もうかつに出せない。下手すれば自分が勝ってしまう。そこに、Q(クイーン)より強いA(エース)・K(キング)が出ようもんなら……想像はつくな?つまり、スぺA(エース)・K(キング)はマイナス13ポイントのスぺQ(クイーン)を呼び込んでしまう、というのが戦略二の理由だ』
『かといって、この二枚を出さずに放置しておくと、強制的に出さされるハメになる。手札にあると分かったら、一刻も早く処理しないといけない』
『方法は二つ。一番いいのは、四番手で出すこと。そこで場の札は流れるから、100%安全。もう一つは、場のマークのカードが手札にない時は、好きなカードを出せるのを利用する』
『そのための戦略三。少ないマークから率先して使い切れ。手札をざっと見て、最も少ないマークの札を優先的に使い、0にする。すると、それが場のマークになった時、自由にカードを処理できるようになる』
『一番ヤバい、スぺQやハートの絵札はここで処理するのが鉄則。場のマークと異なるカードは最弱の扱いになるから、勝つことは絶対にない。とはいえ、今回はチーム戦。味方にマイナス札が行かないようには、気を付けないといけない。だが逆に、敵にマイナス札を放り込むことができたら?』
『いかに早く、場を操れるようになるか。それを心がけろ』
◇
よもぎが初手で出したクローバーの8を見ながら、父親は頭の中で、娘の手札の情報を確認していた。
“(娘のダイヤは残り一、スペードはなかったな。……よし、この手で行くか)”
父親はクローバーQ(クイーン)を出し、ジョナサンは手札にクローバーがなかったため、スペード8を場に。娘の札はクローバー6。
(ポイントの変化はありません。第7ターン、プレイヤー:羽波平(たいら)、カードを出してください)
自身の手札を見て、ほくそ笑む父親。隙を見計らい、娘に通信を行う。
“スペードを出す。‘解禁(ブレイク)’の準備をすぅいておけ”
娘の口角が上がったのを見届け、場にカードを投げる。
“スペードの3ですぞぉ!”
『スペード5』
【あら~、スペードが尽きてしまいましたわ。どうしましょうかしらぁ~】
甘ったるい口調で、娘はくねくねと体をよじらせる。そして、よもぎを睨み付け、口元に犬歯を覗かせた。
【ハーートのォ~~~A(エース)ゥ!】
(ハートが解禁(ブレイク)しました。以降、ハートを場に出すことが許可されます)
「スペードK(キング)」
最も強いカードを出したよもぎの元に、ハートのA(エース)が吸い寄せられる。
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
“あら~、さっそく残りマイナス9ポイントでちゅね~、大丈夫でちゅかぁ~?”
幼児言葉で父親が煽り立てる。しかし、よもぎは父親の方を見向きもせず、場の札にじっと目線を注いでいる。
(第8ターン、プレイヤー:よもぎ)
「スぺード4」
“おおひくいひくい。だが、無駄ぴょーっ!スペード2!”『スペードが尽きた。ダイヤ6』
【学習しませんわねェン。スペードはないと言ってますのに……ハートのJ(ジャック)~をプレゼントforユ~!!】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
《よもぎ!》
観客席ではさくらと雪輝が、固唾を飲んでよもぎを見守っていた。
“どうしまちゅ?このままでは二人を逃がすぅどころか、三人仲良くご奉仕でちゅねぇ?”
執拗な雑言にも、眉ひとつ動かさないよもぎに、父親の笑みが消える。
“(ちっ、気に食わん!まだ状況を理解できてぬぁいのかぁ?)”
(第9ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
「ハート5」
“(ついにハートを出すぅいたぞ!わたくしは6を出す。いけるか?)”
【(オフコース!ヒーハァ!)】
素早く娘と通信を交わし、父親が臭い口を開く。
“ハートの3んんん!!!”
『ハート4』
【わ・た・く・し・わぁぁぁ……ハートの2(トゥ)ゥ――!!!!】
「……!」
(プレイヤー:さくら、マイナス4ポイント)
機械が音声を出すと同時に、親子が両手を鳴らし、コールを始める。
“【あっとよんてん!あっとよんてん!アハハハハハ!!】”
狂乱の横で、よもぎは俯き、固まってしまった。
『(初めてにしちゃあ、上出来な方だ。だが、ツキが回って来てねえな。さあ、どうする?)』
静かによもぎを見つめるジョナサン。わずかに、よもぎが顔を上げた。
『(……ほう)』
その目の光は、失われてはいない。ジョナサンと目が合うと、微かに笑みを浮かべた。
『(お手並み拝見、といきますか)』
(第10ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
よもぎの手が、力強く一枚のカードを選び出した。
「ダイヤJ(ジャック)」
“(J(ジャック)、だとぉ?ヒャヒャヒャ、やはりただぁの素人だなぁ!そんな高いカードを終盤に残しちゅあった、可哀想なよもぎちゃんに、プレゼントをあげまちょうぬぇ~)”
“おやおや、ダイヤがなくなってしまいむぁしたぁなあ~、じゃあ、適当にこれどぅえでも出しますか……な!”
机の上にカードを叩きつける。
“スペードのQ(クイーン)!さらにマイナス13ポイントでぇいすなあ!アハハハハハハハハハ!!”
『ダイヤ3』
勝利を確信し、父親は高笑いを始めた。
“(こるぇだから、奴隷とのギャンブルはやむぅえられん!希望に目を輝かせてゲームに挑んだ奴隷が、破れる瞬間に見せる表情といったら!賭博場内での私の地位も、ますます高まる!最高のショーどぅあと思わんかね!さぁぁぁぁてよもぎちゅああん、キミはどんな嬌態を拝ませてくぅれるのかなぁぁあ?)”
【……お父様?】
娘の声に、意識を戻す。
“(おっといかんいかん、騒ぎ過ぎたか。まあ、娘もさぞかし喜んで……)”
浮かれながら、父親は娘に目を向けた。だが、予想に反して娘は頬を引きつらせ、自分を睨み付けている。
【何を、しておられますの?】
“何って、よもぎちゅあんにマイナス13ポイントをプレゼントforユ~したんじゃないか。こんなの、J(ジャック)の勝ちに決まって……”
父親の笑みが消えた。娘の前に置かれているカードは、ダイヤのQ(クイーン)。
(プレイヤー:羽波舟(ふね)、マイナス13ポイント)
“はぁぁ!?”
機械の宣告と同時に、娘の元にスペードのQ(クイーン)が渡る。父親は立ち上がり、娘に指を突きつけた。
“さっきお前、ダイヤは10と2と言ってただろぉ!?”
【ちがわい!10とQ(クイーン)って言ったんですのよ!!】
『さっき言った、とはどういう意味だ?』
親子が顔を上げると、ジョナサンとよもぎの、鋭い目線が突き刺さった。観客の間にも、ざわめきが生まれる。
ジョナサンを見て、父親がはっと気付く。
“(こいつのせいか!娘と通信している時、こいつが話しくぅあけてきたせいで、混同を!)”
大きく咳払いをしつつ、父親が笑みを浮かべる。
“いやぁ、目でサインを送った、ということすぁ。そのくらいは問題なぁいだろぉ?ホッホッホ”
その内心では、悪鬼の如き罵倒が繰り広げられていた。
“(いい気になるぬぅあよ!たかだかあと4ポイント、このラウンドで潰してやる!)”
(第11ターン、プレイヤー:羽波舟、カードを出してください)
【クローバーの3!】
ほっと、娘が一息漏らした。
【(いくらなんでも、3で勝つことはないでしょ、見てなさい、次にハートを振り)】
「ハート10」
よもぎの出したカードに、娘の思考が止まる。
“ぬぅ、スペードの10ぅ!”
【(よし、ジジイの所に行くのは回避できた!さあ鳩胸野郎、とっととクローバーを出)】
『ハートQ(クイーン)』
(プレイヤー:羽波舟、マイナス2ポイント)
【はぁぁ!?】
野太い声を上げる娘に、ジョナサンが呆れ顔を浮かべる。
『これでマイナス15ポイントでちゅね~、大丈夫でちゅかぁ~?』
【……てめぇぇぇぇええええぇぇぇ!!!】
『おいおい怒るなよ、あんたらの真似をしただけだぜ』
周囲の目線に気付いて、娘が黙り込む。肩を怒らせながら娘は腰を下ろした。
『(やっぱり。オヤジの方はともかく、娘は完全にド素人だな。オレがクローバーを切らしていることも忘れたのか?)』
(第12ターン、プレイヤー:羽波舟、カードを出してください)
“(おい、残り二枚を教え)”
【うるっっさい!!】
父の通信音声に怒りを爆発させ、娘が怒鳴る。
『おいおい、誰も何も言ってねえだろ?それとも、機械にキレたのか?』
ますます疑惑の目を強める観客に、父親は焦り始める。
“(バカが、バレたらどうする気だ!仕方ぬぁい、通信はナシだ。ワタクシがぬぁんとか……)”
自分の残り手札を見て、父親が眉をひそめる。残っているのは、ハートの9とK(キング)。
“(チッ、よもぎか鳩胸野郎に放ぉり込むつもりだったのに、娘が勝つとうぁな。ひとまず、ハートは初手に出さぬよう指示を)”
「カードを出して」
【シャラァアアップ!ハート7!!】
“(馬鹿が!!いや、だが、どちらかが10以上のハートを持ってさえいれぶぁ!)”
「ハート6」
“……ハート9ゥ!!”
“(マイナス4ポイント!くたばりやぐぅあれ鳩胸野ろ)”
『ハート8』
“はぁ?”
(プレイヤー:羽波平(たいら)、マイナス4ポイント)
“ば、馬鹿な!”
(最終ターン、プレイヤー:羽波平、カードを出してください)
父親から順に、ハートK(キング)、ダイヤ2、クローバーK(キング),スペード6が並ぶ。
(プレイヤー:羽波平(たいら)、マイナス1ポイント)
“く、く……!”
声を詰まらせる父親を見つめながら、よもぎはジョナサンの‘戦略’の効果を実感していた。
◇
『ゲームの終盤になると、何の札が使われたか、誰が何を出したかの把握が、極めて重要になってくる。極端な話、初手でダイヤの2を出したとしても、他の全員がダイヤを持っていなかったら、2でも勝ってしまうわけだ』
『そこで、戦略四:場にだけ集中し、出たカードを頭に叩き込め。まだ出てない札で、かつ自分も持っていない札なら、必ず誰かが持っている。‘絶対出さなきゃいけないルール’を利用すれば、相手をハメることだってできる』
『ただ、ゲーム中、奴らは下らんことを言って、こちらの動揺を誘ってくる。無視しろとは言わん、そもそも認識するな。あいつらに気を払うのは、こちらから奴らに揺さぶりをかける時だけでいい』
『一番気が逸れやすいのは、マイナスを喰らった時だ。さすがに動揺するかもしれんが。1ターンでマイナス4ポイント喰らうぐらい、ハーツでは当たり前、と認識しておけ。この点差でマイナスを一回も取らずに勝つなんて、できる訳がない。完璧を目指そうとするな。たとえマイナス99になろうと、100にならなければまだまだ余裕だ。でっかく構えろ』
『なあに、一人で戦ってるんじゃないんだ。連中はオレが見張っておく。大船に乗った気持ちで、自分の戦いに専念しろ』
◇
(第1ラウンド、すべてのターンが終了しました。今回のラウンドの結果、羽波(はなみ)親子:マイナス20ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス6ポイント。
集計結果、羽波(はなみ)親子:マイナス20ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス96ポイント。いずれのチームのポイントもマイナス100に達していないため、ラウンド続行です)
『残念だったねえ。1ラウンドで終えられなくて』
振り返った二人に、ジョナサンは笑顔で声をかけた。
【調子こくんじゃぁないわよ!!】
“ふふふふふふふ、勘違いしてないかね、君ぃぃ?これは観客へのサァァビスさ、いくらなんでも1ラウンドで終わってはつまらんからね、はーはは!”
眉をひくつかせながらも、余裕の表情で父親が応じる。
“さて、ここからが本番どぅあ!おい、とっとと第二ラウンドを始めろ!”
『(本番か、確かにな。次のラウンドを制せるかで、ゲームの流れは変わる。頼むぜ)』
よもぎに向けて、ジョナサンが念を送る。
(各プレイヤーに、十三枚のカードを配布いたします)
その横で、機械が再び、シャッフルされた13枚のカードを吐き出した。
【ブフッ!】
配られた手札を見た娘は、思わず笑い声を漏らし、口元を歪ませ、父親に通信を行った。
【(今度こそは奴らを潰せるわ!スぺ)】
『ちょっと』
【あ!?】。
『さっきから思ってたんだが、なぜあんたらは定期的に口元を隠すんだ?』
【ただのクセですけど何か?】
“親子なのどぅえね、考える時はついつぅい口に手を当てたくなるのだぁよ”
即答する親子に、ジョナサンは笑みを消し、身を乗り出した。
『でもさぁ、そうしながら、いつもブツブツ喋ってるじゃん。集中力が切れるから止めて欲しいんだけど』
“個人の趣向に、とやかく言われる筋合いはなぁいよ!お断りだぬぅえ!”
父親が言い切ると共に、会場内からブーイングが沸き起こる。予想外の反応に、親子は戸惑い、辺りを見回す。
“(く、やはり不審に思われたか。やむを得まい)”
娘を手で制し、周りに聞こえるよう、父親はゆっくりと宣誓した。
“ぐぅ、分かった、お客のみなさんが安心できないというなるぅあ、以後は慎しもうではないかね”
『約束だぜ』
ようやく大人しくなったジョナサンに、父親はいら立ちを隠さず、舌打ちを放った。
【(安心して、お父様ぁ)】
通信を封じられながらも、娘は父にアイコンタクトを送る。獰猛な笑みを浮かべる娘に、余裕を感じ取ったのか、父親も口の端を歪ませた。
“(それに、まだ手はある。今に吠え面をかくがいい!)”
机の下の装置を片目で確認し、父親はほくそ笑んだ。
(‘ハーツ’第2ラウンド、スタートです)
◇
(第1ターン、クローバーの2を所有するプレイヤーから、時計回りにカードを出してください)
よもぎがクローバーの2を出し、場に四枚のクローバーが出揃う。カードを出し終えた娘が、小さく笑いを漏らすのを、ジョナサンは視界の隅に捉えた。
『(ヤツのあの表情、何かを仕掛けてくるな)』
2ターン目、父親からダイヤが四枚。最も高い数値を出したのはよもぎだった。
そして、3ターン目。よもぎはクローバーのQ(クイーン)を選択。父親のクローバー10、ジョナサンのクローバー8が後に続く。そして、娘の番。
娘は顔を下に落とし、頭頂部を見せ、小刻みに震えはじめた。
『おい、どうした?』
【……プ、ププ……】
娘の鼻から、荒い息が漏れる。
【プ、ブフー……あっはっははははははははは……あはははははははははははは!!!】
後ろに倒れかけるほどのけぞり、腹の底から笑い声を絞り出す。そして、
【馬ぁぁぁ鹿ぁぁぁだぁぁぁよぉぉぉねぇぇぇぇぇぇ!!】
唾を散乱させながら叫び、椅子の上に飛び乗り、三角座りの体制になる。
【ここまで早く、思い通りにコトが進むとは思わなかったわ……死ねェ!クソ奴隷ェェェエィ!!】
大きく振りかぶって、娘はカードを机に叩きつけた。
よもぎの目が、大きく見開かれる。
【じゃ~じゃじゃ~ん!実は私、もうクローバー、持ってないんだぁ☆。スペードのQ(クイーン)、めっしあっがれぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇえ!!!】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス13ポイント)
容赦のない宣告が、よもぎに降りかかる。
“ん~~~でぇぇぇかしたぁぁ娘ぇぇ!!”
【イェ~~イ!!】
親子二人の手が、高々と天に掲げられる。
とすん。
よもぎの腕が、力なく地に落ちた。
呆然とするよもぎの表情を見て、満面の笑みを娘は浮かべる。
【勝ったッ!第2ラウンド完ッ!勝負ありね!】
“う~む、これ以上よもぎちゅあんを虐めるのはしのびないよぉ。どうだね娘、ここらで棄権させてあげてぇは”
「……勝負を、続けさせてください」
俯きながらも前を見据え、震える声でよもぎが懇願する。
“いや、とはいってもね、もうマイナス100ポイント超えちゃってるしねぇ、プフッ!”
『オレからも、頼むぜ……』
“おやおやぁ、どうしたぃジョナサン君、そんなにしょげちまって?まぁぁぁ仕方ないよねぇぇぇ、負債の半分を抱えることになるんどぅあからぬぅえええ。ププゥ!”
『くっそ、マジかよ……』
頭をくしゃくしゃに掻き、憔悴した表情でジョナサンは訴えかけ始める。
『ラウンド終了時のポイントの差額が、その分だけ一億の負債になるんだよな?だったら、せめて1ポイントでも負債を減らさせてくれよぉ、なあ?』
“ハッハッハ、いいともいいともぉ。しかし君がマイナス90スタートなんて提案、しぬぅあければこんなことにはならなかったのだよ?ハッハッハ!”
(第3ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
「スペード、3」
脂汗を流しながら、よもぎが震える手を伸ばす。
“(そ~おぅ、この顔が見たかったぁ!いいザマだ!)”
満足げに微笑み、娘に視線を送る。
“徹底的にマイナスを送り込め!”
【言われなくても!】
得点カードの出ないまま、数ターンが流れる。
第6ターン、ジョナサンからクローバーの流れ。ここで、娘がハートを解禁(ブレイク)した。よもぎの顔が引きつり、手札からカードが零れる。
【おやおやぁ!?クローバーQ(クイーン)!?そんな高い数、出しちゃっていいのぉ!?勝っちゃうわよぉ!?】
“おお~残念!Q(クイーン)に勝つカードなんてないよぉ!クローバー9!】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
“ざんね~ん!”
よもぎの目から、こらえ切れない涙が零れ落ちた。
【ああァン、その表情、たまんなァイアイ!】
よもぎが出したのは、またもクローバーのカード。出した瞬間、よもぎは息を呑み、慌ててクローバーを引っ込めようとした。だが、父親に制止される。
“だめでちゅよ!よもぎちゅあん!一度出したカード引っ込めちゃぁ!まぁ、パニックになっちゃったのかなぁ?そんなキミに、ラブchu入!ハートのJ(ジャック)ゥ!”
ジョナサンは頭を抱え、無言でクローバーを出した。
“あらぁ~!?ふっしぎ!私の手札にもクローバーないィ!じゃあハート出すしかないわよね!!”
(プレイヤー:よもぎ、マイナス2ポイント)
涙をこぼし、荒く息をしながら、よもぎは必死にカードを繰り出す。しかし、一番手を逃れることができない。
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
“またまたマイナスでちゅうねぇ♪”
(プレイヤー:よもぎ、マイナス4ポイント)
【あ、黒服、抹茶オーレ持ってきて】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス2ポイント)
【♪オ~レ~、オ~レ~、まぁぁぁっちゃオ・オ・レ~!あははははははは!!!】
ドリンクを片手に、鼻歌を歌う娘に、よもぎの様子をうっとりとした表情で観察する父親。
『てめぇ、やる気あんのか!!』
ジョナサンが立ち上がり、よもぎに掴みかかった。よもぎの腕は力なく下がり、涙の痕が残る顔からは、表情が消えている。
〈もう止めて!!〉
観客席、両手を覆い、さくらが泣きじゃくる。
《おい、もういいだろ!よもぎをゲームから離脱させろ!》
黒服に抑えられながら、雪輝も声を張り上げた。
【さっきからるせェなガキが。これはよもぎちゃん自身が言い出したことなのよぉ?一度言ったことは最後まで守らないとねぇ?】
(プレイヤー:ジョナサン、すぐに席に戻ってください。ゲーム中の他のプレイヤーへの暴力はルール違反です。これ以上継続するならば、即時失格といたします)
『ちっ!』
よもぎを突き放し、ジョナサンは席へ腰を落とした。そのまま、片手で顔を押さえる。
(第11ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
よもぎの手から、カードが一枚、すり抜けるかのように落ちる。
“(そそるのぉ!さ~て、あと何枚……)”
ふと手札を眺め、父親は硬直した。
“(ちょっと待て、もう三枚?あと3回で、ラウンド終了?……よ、よもぎの奴、何枚得点カードを手に入れたんだ)”
父親はもう一度、手札を見返した。ハートのカードはなく、絵札でない微妙な値のカードが残るばかり。
次に、今よもぎが出したカードを見る。ダイヤのJ(ジャック)。父親の背に、氷を落とされたような感覚が走る。
“(こいつ、まさかぁ!くそ、私の手札では対応できんっ!)”
“ダイヤ5!”
『……ハート4』
ジョナサンのカードを見て、父親の恐怖は確信に変わる。
“おい娘っ!!”
【なんですのお父様、騒がしい】
フルーツオーレ片手に、完全に腑抜けた様子の娘を、父親は怒鳴り付ける。
“のんびりすなぁ!お前、ハートはまだ持ってるか?”
【え?ええ。あぁ、なんだ、大丈夫よお父様。もちろん分かってるわ】
“ならいい!いいか、こるぇ以上ハートを”
【♪ダイヤがないからハートの5!これでまた1マイナスよ、ゴメンねェ~ン】
“こんのクソボケェ!!!引っ込めろ!早くぅ!!”
慌てて娘のカードを払おうと腕を伸ばすが、ジョナサンに掴まれた。
『駄目だろ、一度出たカードを引っ込めちゃあ』
“……!”
(プレイヤー:よもぎ、マイナス2ポイント)
辺りに響く機械音声に、父親の焦りが加速する。
『何をそんなにエキサイトしてんだ?』
“決まってるだろぉうが!貴様らが得点カ……”
ジョナサンの虚ろな表情に、父親の動きが止まる。
『どうせ俺らのコールド負けなんだろ?ああ、どうすりゃいいんだ』
そのまま机にうつぶせるジョナサンを、呆然と父親は眺める。
“(気付いて、ぬぅあい?)”
よもぎの方を見る。一言も発さずに俯いたまま、ぼんやりと前を見つめている。
“(なんだ、ただの偶然か!止めらるぇる!今なら!あれを使う時だ!!)”
“おっといかん、カードを落としてしむぅあった!すこし待ってくれんかねぇ?”
わざとらしく手札をテーブルの下に落とし、探し回る振りをする。
“まいった、どうも老眼でなぁ~”
わざとらしく喋りながら、机の下に装着された装置の、レンズを覗き込む。
“ククク、この装置から全員の手札が見渡せるという訳さぁ!”
各机の隅に設置された小型カメラの映像が、レンズの中で小さく動く。画面のうちの一つに、娘の手札の中身が丸写しになっている。
“娘の手札にハートは、ないぃ!やはりあの二人か!”
二人の画面を覗いた父は、言葉を失った。よもぎもジョナサンも、二枚のカードを手に持たず、机の上に伏せている。カードをめくって確認するそぶりも無い。
“(くぅぅそぉぉがぁあああああああああ!!!)”
『おい』
突然声を掛けられ、思わず身体が跳ね上がる。結果、天井に頭を盛大にぶつけた。
“あだだだだぁ!!”
頭を押さえながら机から身を乗り出すと、ジョナサンが腕組みをして、足を鳴らしていた。
『まだ見つからないのか?機械も催促してるぜ』
(プレイヤー:羽波平は、早急にゲームに復帰してください)
“い、いや、見つかったさ。すぐ戻るぅ”
しつこく頭を気にしながら、父親が席に戻る。
“はっはっは、失敬しっけ”
椅子に腰を下ろしかけた、父親の動きが固まる。
一番手のよもぎが目の前に出していたカードは、ハートの4。
“てぇぇぇぇぇめぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!”
手に掴んだ二枚のカードを、テーブルに叩きつける。
【な、なに、なんなの?どしたオトン?】
“どしたオトン?じゃぬぅえ!特殊ルールだ!!くそっ!くそおおおおおおおおおおぉぉぉぉおぉ!!!”
【はあ、と、特殊ルールって?】
机を叩く父親に対し、娘は頭に疑問符を浮かべるばかり。
小さく、笑い声が響く。目と口を閉じたまま、ジョナサンが首を振っていた。
【えっ?】
『まさか、そんな基本も知らずに、ハーツに臨む奴がいるとはな』
“て、てめうぇ……!”
すっかり元の余裕を取り戻したジョナサンが、二人を嘲笑う。
【はぁ!?どういうことよ!?説明しろよ!!】
『まあ、ラウンドを終わらせようぜ。そうすりゃ、アンタにも理解できるはずさ』
“クソっ!クソッ!!”
【ふ、ふん!ショックでおかしくなったのね!ほら、お父様、何とか言ってやってよ!何凹んでますの!?】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
第12・13ターン、共によもぎが場札を獲得。同時に、機械のアナウンスが流れる。
(第2ラウンド、すべてのターンが終了しました。今回のラウンドの結果、羽波(はなみ)親子:マイナス0ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス26ポイント)
【アハハハハハハ!!見なさいよ!なーにが特殊ルールよ、あんたらの超コールド負】
(三枝よもぎ&ジョナサンが、すべての得点カードを揃えました!特別ルールが発動し、羽波親子にそれぞれマイナス26ポイント、計マイナス52ポイントが科されます!)
【はい?】
集計結果、羽波(はなみ)親子:マイナス72ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス96ポイント。いずれのチームのポイントもマイナス100に達していないため、ラウンド続行です)
【はぁぁあぁぁぁああああああ!!!?】
娘が野太い悲鳴を上げる。会場からも、どよめきと歓声が上がった。
「……ここまで思い通りに、コトが進むとは思わなかった」
“!!”
【て、てめぇ!?】
それまで黙っていたよもぎが、口を開いた。わずかに微笑むと、強い眼差しで二人を見据える。
【な、なんで、あんなに惨めったらしく泣いてたアンタが】
『残念だったな。あれは全部、オレたちの作戦だ』
代わりに答えたジョナサンに、娘は言葉を失った。
◇
『これまでは‘守り’の戦略を伝えてきたが、ここからは‘攻め’の戦略だ。今回、俺たちが最も避けなければならない事は何だ?』
「スペードQ(クイーン)を、得ること」
『そう、俺たちには残り10ポイントしかない。スぺQ(クイーン)を喰らったら即死だ、普通はな。だが、万が一スぺQ(クイーン)を取っちまった時でも、ただ一つ、逆転できる手がある。それが‘シュート・ザ・ムーン’だ』
「……しゅーと・ざ・むーん?」
『‘特殊ルール’のことをそう呼ぶのさ。片方のチームが十四枚の得点カードをすべて獲得した時、ボーナスとして減点0、対戦相手二人にそれぞれマイナス26ポイント。説明で聞いたろ?』
『スぺQ(クイーン)を取ってしまったと分かったら、即座に全部の得点カードを得ることに、目的を切り替えないといけねえ。戦略も真逆になる。ハートが解禁(ブレイク)されないうちに、弱いカードを処理する。ハートを一枚でも奪われたら、このルールは発動しない。ハートの出現が増える中盤以降に備え、強いカードを後半に温存する』
『そして、何より重要なのがこれだ。‘シュート・ザ・ムーン’を狙っていることは、絶対に敵に悟られないようにする。このルールの存在ぐらいは、相手も知っているだろう。こちらが意図的にマイナス札を取っていると分かったら、即座に妨害してくる。そうされると、達成はほぼ不可能になる』
『幸い、敵は図に乗りやすく、底意地も悪い。こちらがスぺQ(クイーン)を取ったところで満足せず、さらにマイナス札を放り込んでくるはずだ。それを利用する。いかに奴らをお輿に乗せて、早い段階でハートを消耗させるかだ』
◇
“特殊ルゥールくらいちゃんと覚えとけぇドアホがぁ!”
【あぁ?てんめぇが調子こくから、こっちも呑まれて忘れちゃったんじゃないぃ!?】
“おんまぇがまずスペードQ(クイーン)なんざぶちこむから、こんぬぅあことになるぅんだるぅおぅ!?こうなることぐぅらい予測できるだぁろうが!”
【はぁ?それっていつのタイミング?何時何分何秒?んなもん分かる訳ねえだろがぁ!!】
親子が言い争う側で、ジョナサンが額を手で押さえ、呆れ笑いを浮かべていた。我に返った二人が、目を血走らせ、睨み付ける。
『これで、あんたらとは24ポイント差まで迫った訳だ。自覚しろよ、もうアンタらに余裕はない』
【はぁ?それで勝ったつもりなの?いい気になるなよぉ!】
面子を完全に捨て去り、娘がヒステリックに叫び立てる。
【てめえらだって、所詮あと4ポイントの命じゃない!比べて、こちらはあと28ポイント!2ラウンド耐えられる!!こんぐらぁい、平気なんだよぉぉぉおお!!】
娘の啖呵に、ジョナサンは首を振り、苦笑を浮かべる。その表情に、父親がいきり立った。
“なぬぅいがおかしい!?”
『2ラウンド、ねぇ。本当に、2ラウンドもあるのかな?』
“ど、どういう意味どぅぁ!?”
『さあな、ご自分で考えたらどうだい?あんたらみたいな凄腕が相手なら、思ってる以上に早く済みそうだ』
【…………はあああああああ!?】
(これより、五分間の作戦タイムとします。各プレイヤーは、お互いに情報を交換しても構いません)
唐突に、機械が告げた。
◆
机の傍に集まり、親子は向かい側の二人を睨み付けていた。
【下賤(げせん)の癖にぃ……!2ラウンドもあるのか、ですって?】
“あるわけがないさ、次でやつらぁの負けだからなぁ!この屈辱はたっぷりと”
【待って!まさかアイツ、次も‘特殊ルール’を!?】
“なにぃ?”
【次もマイナス52ポイントを喰らわされればこちらはマイナス124ポイント。敗北が確定する!】
“ははは、そんなことできるぅ訳が”
【いや、ヤツは狙ってくる!見なさいよ、あの態度!!どうせ私らには防げっこないと思ってるんだろ!!舐ぁぁぁぁめやがってぇ~!!見とけよ!!】
“お、おい娘?”
鬼の如き形相を浮かべながら、娘は側近の黒服を呼び寄せた。
【おい黒服、例の‘アレ’かましてこい!!うるさい!あとで主催者に金を積み倒しゃあ問題ないぃ!!とっとと行って来いや!!】
尻を蹴られ、慌てて黒服は会場奥へと姿を消した。
“‘アレ’を起動する気か!?あれは本当に本当の最終手段なんだぞぉ!?バレたらどうなるか……!”
顔面蒼白になる父親と対照的に、頭に血の上りきった娘の目は、愉悦に染まっていた。
【見ててぇ、お父様ぁ。次のゲーム、絶対、私たちの、勝ちだぁかぁらぁ。アハハハハハハハハハハ!!】
◇
『上出来だよ。あれだけ演じれりゃ問題ない』
「ありがとう、でも……」
『そう、‘シュート・ザ・ムーン’の存在はバレちまった。この先狙うのは、難しいかもしれない。だが、大丈夫だ』
「えっ?」
『オレの見たところ、奴らは確実にイカサマを行っている』
「!」
向かい側の親子を観察し、ジョナサンは冷静に呟く。
『あの様子だと、次はもっと派手なイカサマをやらかしてくるだろうな。内容も大方、予想がつく』
「それが、大丈夫な理由なの?」
『イカサマが身を滅ぼすこともある、ってことさ。その辺りはオレに任せろ』
そう言うと、ジョナサンはよもぎの方へ顔を向けた。
『お前の取るべき戦略は、さっき教えたとおり。あとは、精神力と運だ』
姉と兄の方を見つめ、身体を固くするよもぎ。その肩を、ジョナサンは軽く叩いた。驚き、よもぎはジョナサンを見上げる。
『ま、深刻に考えるな。最悪、イカサマの証拠なり突きつけてゴネりゃいいんだ。気が張り詰め過ぎると、思考力も鈍る。気楽にやろうぜ』
「……」
『どうした?』
「どうしてジョナサンは、協力してくれるの?」
苦笑しつつ、ジョナサンは首を振る。
『さっきも言ったろ。オレは別にお前を助けたい訳じゃない。それに、他に狙いもあるしな』
「狙い?」
『知りたいか?』
唐突に、ジョナサンが自分に顔を近づけた。よもぎの心臓が、思わず跳ね上がった。
『オレの狙い、それはな』
唇と唇が触れ合うほどの距離で、ジョナサンがゆっくりと言葉を吐き出す。瞳に煌めく朱に、吸い込まれるような感覚が、よもぎを満たす。二人の距離が、さらに近く――
『ゲームが終わったら、教えてやる』
唐突によもぎから離れ、ジョナサンは自分の席へと戻っていった。目を白黒させながらその背後を見つめるよもぎの胸に、ある疑問が去来する。
「(あの人、もしかして?)」
◆
(ゲームを再開します。各プレイヤーに、十三枚のカードを配布いたします)
「……」
『なんでぇ、こりゃあ?』
自分の持ち札を確認し、よもぎとジョナサンの二人は首をひねり、お互いの顔を見合わせた。
【(キマシタワー!!)】
一方、娘は口を札で隠し、無音の歓声を上げていた。
その内訳は、各マークのA、K、Q計12枚に加え、クローバーの2が勢揃いしていた。
【(こんなこともあろうかと、ゲームの進行役を一人、買収しておいたのよぉ!疑われないよう、他三人の手札はランダムのまま。だがしかし!私の手札は、この通り最強!)】
声を発しかねないほど調子に乗っている娘に、父親は目線で釘を刺す。
“(あんまり態度に出すなよ、貴族の私らであれ、バレれば懲罰級の最終兵器ぬぁんだからなぁ)”
“(これさえありゃあ、奴らにもマイナス52ポイントをお見舞いしてやれる!要は全勝すればいいんでしょ、全勝すれば!この手札なら、絶対に負けることはない!100%勝利ぃ~できゅ~ん!アハハハハハハハハ!!)】
手札を見つめながら身体を前後に揺らす娘の様子を、ジョナサンはじっと見ていた。
全員に札が行き渡ったのを確認し、機械がアナウンスを読み上げる。
(‘ハーツ’第3ラウンド、スタ……)
『あ!』
会場中に響き渡るジョナサンの大声に、ゲームの音声が中断される。思わず父親と娘は身震いした。
“うるさいぞぉ!なんなんだ一体!”
『そうだ、なんか変だと思ってた、ハーツって、重要なルールがあったよな?ゲームの開始時に、三枚のカードを他のプレイヤーと交換するってやつ』
機械に向け、ジョナサンが尋ねる。娘は目を見開くと、慌ててまくし立て始めた。
【今度は何を言い出すかと思えば!そんなルール、見たことも聞いたこともない、進行妨害は止め】
(当ゲームでは、選択性のルールとなっております。プレイヤーの方が望むのであれば、実施することも可能です)
【ちょっ!】
機械の予想外の反応に、父親も立ち上がり、唾を散らす。
“馬鹿げている!そんなルール、今更使う意味もなぁい!”
『いいじゃんか、何回も同じようにやっちゃあ、マンネリだろう?観客も飽きるぜ。それとも何だ』
一度言葉を区切り、鋭い瞳で親子を睨みつける。
『せっかく操作した手札が崩れるから、嫌だってか?』
“ぶふぉっ!!?”
【!?!?ななな何を証拠にそげなことおっしゃられてるのかしらぁ?】
椅子から転がり落ちかねないほどに、親子は動揺した。その反応に、客席のざわめきが大きくなる。一方のジョナサンは、きょとんとした表情を浮かべている。
『はあ?オレはただ、カードを並び替えてマーク順にする操作のことを言っただけだが?何をそんなにうろたえてんだ?』
【べっべっ別に、うろうろたえて、ねっねっねっねーよ!】
必死に取り繕おうとするが、周囲の疑惑はますます強まる。舞台からもざわめきが聞こえてくるほど、親子を取り巻く空気は悪化していた。
“(ま、まずうぃ!テラまずぅい!)”
大きく大きく咳払いをし、笑顔を面に張り付け、父親が応対する。
“ハッハッハ。なにやら不名誉な誤解をされているようだねぇ?。娘はそんなルールがあったとつゆ知らぁず、支離滅裂な反応をしてぇしまっただけだよ。よかろう、誤解を解くためにも、そのルールに応じようじゃないか”
【(ちょっ、オヤジぃ!)】
“(三枚くらいがまんせぇ!)”
娘を目線で黙らせ、しぶしぶ機械に了解のサインを出す。
(了解いたしました、選択ルールを発動します。各プレイヤーは自分の手札から三枚のカードを選び出し、左隣のプレイヤーに渡してください)
【左隣ぃ!?敵にカードが渡っちまうでしょうがぁ!】
『だから面白くなるんじゃあねえか。ほら、早く選べよ』
【わかっとるわ!】
手札を穴が開くほど見つめ、歯ぎしりを繰り返す娘。
【(ギギギ……しゃーねぇ、まだ低い数値のカードとさよならバイバイするしかねえな)】
クローバーの2とダイヤ・クローバーのQ(クイーン)を選び出し、左隣にいるよもぎの方に、無言でカードを投げつける。
「カードが裏返る、ちゃんと渡して」
よもぎの声を無視し、ジョナサンが置いた三枚のカードを掴み、一気に表返す。
【鳩胸野郎ぉぉぉぉ!!】
手札に飛び込んできたのは、ダイヤの2、8、9。
『なんだよ、比較的低い札をあげたのに。どうすりゃいいんだ』
わざとらしく戸惑うジョナサンを、父親は鼻で笑う。
“フン、調子に乗るのもここまでですぞぉ。チミたちは、ここで負ける!無様に地べたを這いつくばる姿、さぞ見ものでしょうなぁ、皆さぁん!”
父親が腕を広げ、会場に向けて笑いを煽ったが、反応はない。
「……地べたを這いつくばるのは、そちらだ」
よもぎの一声に、会場が小さく沸く。父親は唖然と会場を見渡す。
“(こ、この、賭博場名誉会員の私が、一度たりとも敗北のない私が、圧倒的大差で敵を弄んできた私が、観客を、奪われた、だと……?くそがァァァァ!!、こいつら、ただでは済まさん……!)”
父親の指が、椅子の縁に強く食い込ませる。
(‘ハーツ’第3ラウンド、スタートです)
機械の宣言と同時に、よもぎは手札からクローバーの2を繰り出した。
◆
第1ターン、クローバーK(キング)を出した娘が、場札を得る。
【見てなさいよ、アワ吹かせてやるからぁ!アハハハ!】
『ほう、そいつぁ楽しみだ』
余裕を見せる娘に、ジョナサンが冷静に応じる。
(第2ターン、プレイヤー:羽波舟(ふね)、カードを出してください)
【(おっと、今のうちに、さっき掴まされたゴミ札を捨てておかないと。終盤で連勝して、マイナス札を独占してやる!マイナス52点を喰らわせた時の、こいつらの表情が楽しみだわ!待っててね~待っててね~!アハハハハハ!)】
想像に酔いしれながら、娘が選択したカードは。
【ダイヤの2!】
「ダイヤ10」
“ダイヤの7ぁ”
【(フフフ、低い低い。当然よねぇ、私が強いカード握ってるんだもの。アハハハハ!)】
『いっけねぇ、もうダイヤが無ぇや。……ハートJ(ジャック)』
【ひょ?】
(ハートが解禁(ブレイク)しました。以降、ハートを場に出すことが許可されます)
【は、はぁ?】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス1ポイント)
状況を理解できず、娘は空を見つめている。父親も、口を開けたまま、固まってしまって動かない。
「しまった」
『うわ、ごめんよもぎ!まずいなぁ、あと3ポイントで脱落しちまう、困ったなぁ』
【はあーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?】
よもぎとジョナサンの寸劇を前に、娘の絶叫が響き渡る。
『なんだよ、騒々しいな』
【てててててめえええええええええええええええ!!わわ私のハートを奪ったなあああああああ!?】
『お、遠回しな告白か?すまんが他をあたって』
【ふざけるなぁ!!て、てめぇ、何のつもりで】
『つい失敗しちゃったんだって。別にいいだろ、そっちにプラスなんだから』
“無効だぁ!こんな試合はぁ!”
手札を机の上に投げ付け、父親が立ち上がった。
『はあ?何一つ、ルールにゃ違反してないと思うが』
“黙れぇ!”
ジョナサンに掴みかかろうとする父親を、音声が制する。
(プレイヤー:羽波平(たいら)は、すぐに席に戻ってください。ゲーム中の他のプレイヤーへの暴力はルール違反です。これ以上継続するならば、即時失格といたします)
すんでの所で拳は抑えられるも、父親はわめき続ける。
“て、てめぇ、札を交換するとか言って、イカサマを仕ぃ込んだんだろぉ!”
『何をどう仕込みゃあいいんだよ。第一、それはあんたらの方じゃないのか……イカサマ仕込んでんのは』
ジョナサンはそう言うと、娘の方に鋭い眼光を放った。【ひっ!】
娘の口から、震えた声が漏れる。
『さあ、ゲームを続けようぜ。これ以上このラウンドが違法だって言い張るなら、今すぐ全員の手札を公開したっていいんだぜ?』
“ぐっ!”
黙り込む父親の後ろで、娘は言葉すら発せず、全身真っ赤になってぶるぶると震えていた。
◇
(プレイヤー:羽波舟(ふね)、マイナス1ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス1ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス4ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス3ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス2ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス1ポイント)
(プレイヤー:羽波舟、マイナス13ポイント)
『A(エース)とK(キング)をすべて持ってたのか!すごい引きだなあ』
残りのターン、ほぼ全てのカードを娘が独占。ジョナサンの大袈裟な反応に、観客席の喧騒が大きくなる。
《イカサマだ!こいつら、手札を操作してやがったんだ!》
【はぁ!?憶測で物抜かすなクソ奴隷がぁ!】
雪輝の叫びに、娘が拳を机に叩き付けて反論する。だが、雪輝の言葉に呼応するかのように、観客席からの怒号が相次いだ。
反則だ!
失格にしろぉ!
引っ込め!
【そ、そんな……これは何かの間違いよ!】
うろたえ、娘は天を仰ぐ。騒ぎはますます大きくなる。
“待ちたまえぇえ!!”
腹の底から絞り出された父親の重低音に、一気に会場が静まり返る。
“チミたち、何か大きな勘違ぁいをしていないかねぇ?”
よもぎとジョナサン、客席に向かい、父親が呼びかける。
『勘違いだと?』
父親は、机中央を指差した。
(第3ラウンド、すべてのターンが終了しました。今回のラウンドの結果、羽波(はなみ)親子:マイナス25ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス1ポイント。
集計結果、羽波(はなみ)親子:マイナス97ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス97ポイント。いずれのチームのポイントもマイナス100に達していないため、ラウンド続行です)
“お聞きになあって分かるよぉうに、今回、我々は25ポイントもマイナス!対して、チミたぁちはたったの1ポイント!つまぁり!たとえ娘の手札がどうであれぇ、キミたちは、ほぼ何ら損害を被っていなぁい!”
【な、なるほど!】
力説する父親に、娘が目を輝かせて同調する。腕組みをして聞いていたジョナサンの身体が、机の下に滑り落ちていく。
『ただの結果論じゃねえか……』
“今回で、チミたちと私たちは完全に同点になっとぅあ!よもぎちゅあん!ジョナサン君!最後のゲーム、お互い心を改めて、正々堂々と、闘おぉうではないかね!”
二人の方を交互に振り向きながら、父親はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
《ふざけんな!お前らが不正をやっていたのは明ら……》
なおも非難に沸きかける観客席を、それまで黙っていたよもぎが遮る。そして、親子に問いかけた。
「もう、イカサマはしない?」
“もおぉぉちろんさ。そもそも今までもイカサマなんざ、これっぽっちもやっちゃあいないがねぇ”
「……」
【だ~か~ら~、イカサマなんざ】
よもぎの目の迫力に、娘が競り負ける。
【ぐぬぬ!はいはい、誓います。これでいいんでしょ!】
沈黙の後、よもぎが口を開いた。
「分かった。次のラウンドで、決着をつけよう」
《よもぎ!?》
「自分の手で、私たちの、さくら姉(ねぇ)と雪兄(にぃ)の自由を、手に入れてみせる」
〈……!〉
さくらと雪輝が、身を起こす。
“うむうむ、その意気だぁ。頑張りたまえぇ”
胸を撫で下ろしながら、父親は胸の内で悪態をつく。
“(ふう、甘ちゃんの餓鬼で助かったぁぜ。クソ奴隷が、これだけの屈辱を味わせておいて、ただで済むと……)”
『よもぎのはからいに、感謝するこったな』
“キミは黙っていたまえ、彼女と話は着いたのだよぉ”
高圧的な態度をとる父親だが、ジョナサンの刺すような目線に、余裕が崩れかける。
『もし最終ゲームでも、イカサマをするような事があれば……分かってるな?』
観客席からも怒号が行きかう。父親は目を据わらせ、引きつった笑みを浮かべる。
“は、あまり図に乗るものじゃあないよ。この羽波親子の腕前を、見くびってもらっては困る。よかろう、どちらが正しいのか、はっきりさせようではないかね!”
双方の目線が交わり、火花を散らす。
(各プレイヤーに、十三枚のカードを配布いたします)
機械が、それぞれの運命を決めるカードを吐き出した。自分の手札を見た父親は、拳を握った。
“(これはぁ!ククク、どうやら最後にツキが向いてきたらぁしい。13ポイント以上取りさえしなぁければ、勝利!そして、この手札なら、ほぼマイナス札を取ることはぁない!!あとは、娘にさえ気をつけていればぁ!)”
「ジョナサン」
突如、よもぎが口を開いた。ジョナサンを見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「このラウンドで、私たちは、勝つ」
『……了解』
ジョナサンはにやりと笑うと、悠然と親子を見据えた。
《よもぎぃー!頑張れぇー!!》
客席から、力の限り雪輝が叫ぶ。隣でさくらを、手を組んで祈っている。客席からも、声援が沸いた。
“(な、生意気な!!)”
相手の声をかき消すように親子はけたたましい笑い声を上げ、二人を嘲笑した。
“勝つのはワタシらの方だぁよぉぉぉぉう!”
【そうだそうだ!】
『それはカードが決める事さ。さあ、始めようか』
(第4ラウンド、スタートです)
それぞれの思惑を乗せ、最後の戦いが、幕を開けた。
◆
第1ターン、父親からクローバー2・Q(クイーン)・A(エース)・3。
第2~3ターンはスペード。それぞれ9・5・J(ジャック)・2、4・3・7・6が流れる。
第4~6ターンはダイヤ、3を除く、十二枚のダイヤ札が消費された。
一度も得点札が出現しないまま、緊迫した時間が流れる。
【(スぺードのQは、誰が持ってるのかしら?ジジイか?)】
(第7ターン、プレイヤー:羽並舟、カードを出してください)
【うー、スペードの10!】
「スペードK(キング)」
【(キター!さあジジイ、とっととスぺQ(クイーン)をぉ!)】
期待を込めた眼差しで、娘は父親を見つめたが。
“ぬぅ、クローバーK(キング)”
空振りし、娘は机の上に突っ伏した。
【(持ってねーのかよ!となると、あいつらのどちらが)】
『クローバー9』
【(あいつだぁー!)】
よもぎを睨み付け、娘は冷や汗を流す。
(ポイントの変化はありません。第8ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
「スペードA(エース)」
“クローバーJ(ジャック)ぅ!”
『クローバー6』
【スペードの8】
(ポイントの変化はありません)
【(くそ、いっこうにハートが解禁(ブレイク)しないぃ!せっかくクソ奴隷がスぺA(エース)なんて最高額のカードを出して……ん?)】
ふと、娘は何かを閃いた。
【(待てよ、まだ解禁(ブレイク)していないってことは、ハートは出せない。んで、さっきクソ奴隷が出したのはスぺA(エース)。ってコトは!)】
娘は、よもぎの方を振り返った。
(第9ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
「スペードQ(クイーン)」
【(やっぱりぃーーー!!!こいつの手札は、ハートで埋まってたって訳ね!マイナス13ポイントを自分で喰らうなんて、ウケる!)】
“おやおやぁ!最初にスぺQ(クイーン)を出してしまうとぉはぁ!こりゃ、こちらの勝利は決まったも同然ですな!”
【残念ねぇ、恨むなら自分の運を恨んでねぇ、アハハハ!】
無表情のよもぎの周囲で、親子は両手両足を叩いてはしゃぐ。
“私はもぉちろん、スペードなど持ってませんからなぁ。クローバーの10!ハハハハハ!”
『ハート2』
“ハ?”
(ハートが解禁(ブレイク)しました。以降、ハートを場に出すことが許可されます)
呆けた顔で佇む親子を、ジョナサンが嘲笑し返す。
『やれやれ、めでたいことだな。最後の最後まで気付かないとは』
【はぁ?】
“……!お、おまえら、まさかぁ!!おい娘、こいつら得点カードコンプリートを狙う気だ!!”
【ハッ!く、クローバー4!】
娘はハートを繰り出そうとしていた手を止め、慌てて低い札に切り替えた。
(プレイヤー:よもぎ、マイナス14ポイント)
【あぶねェ、またも騙される所だった。おい、もう第2ラウンドのようにはいかないわよ。徹底的に妨害して】
『妨害?本当にできるのかな?』
“どういう意味どぅあ!”
『可哀想に。結局あんたらは最後まで、戦況を見極めることができなかった、って訳だ』
【ははハッタリかましてんじゃねぇぞ!戦略がバレたんだ、追い詰められているのはてめえらの方よ!】
(第10ターン、プレイヤー:よもぎ、カードを出してください)
荒ぶる娘を無視し、ジョナサンは一瞬、よもぎに目を合わせる。目を離した直後、手札の中の一枚のカードを一瞬持ち上げた。それを見たよもぎは頷き、深呼吸をする。そして、カードを選び出した。
「ハートJ(ジャック)」
“……クローバーの5”
【うぉいジジイ!!ハート無いんかいぃぃ!?】
“お前だけが頼りだ!期待してるぞぉ!”
【つ、使えねぇ!!】
『ハート4』
【ぐっ!……ハートの3!】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス3ポイント。第11ターン)
「ハートQ(クイーン)」
【はぁ!?】
よもぎが繰り出したカードに、親子の息が詰まる。
“ぐ、ぐ!クローバーの7!”
『ハート5』
【ハート6!!】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス3ポイント)
【は、ハハ、おら来いや次ぃ!】
(第12ターン、プレイヤー:よもぎ)
【大丈夫三度も絵札が出る訳がねぇ大丈夫大丈夫大夫丈】
娘は肩を震わせながら、呪文のようにぶつぶつと繰り返している。父親も、臭い息を荒くし、滝のように冷や汗を流している。二人の表情からは、最初の余裕はすっかり消え失せていた。
二人が待ち構える中、よもぎは表情一つ動かさず、次の札を出した。
「ハートA(エース)」
【ぎょへぇ】
“あぺす”
予想を上回る最高数値の出現に、二人は奇声を発し、意識を失いかける。
【なんでA(エース)まで持ってんだあああああああ!!おかしいやろがいぃ!】
「あなたにだけは、言われたくない」
よもぎの冷静な一言に、娘はぐうの音も出ない。
(プレイヤー:羽波平(たいら)、カードを出してください)
機械に促され、固まっていた父親の手札から、クローバーの8が零れ落ちた。
『ハート7』
【ハートの8億】
(プレイヤー:よもぎ、マイナス3ポイント)
【無視すんな!くっそおおお!!】
“どどどどうする娘ぇ!!もう残り1ターンやぁ!!”
【オロオロすな!大丈夫、この一枚で確実に勝利してやる!最後の最後に地獄を見るのはこいつらよぉ!】
頭を抱える父親を、娘は黙らせた。過呼吸気味になりながらも、両の歯に力を込め、よもぎを睨み付ける。
(第13ターン、プレイヤー:よもぎ。カードを出してください)
【さ、さあ!カードを出しなぁ!】
自分の心臓の鼓動を聞きながら、父と娘は固唾を飲んで、よもぎの札に備えている。さくらや雪輝、他の観衆も、物音一つ立てず、ゲームの行方を見守っている。
よもぎは正面を見据えると、手元のカードに手を伸ばした。最後のカード、その値は。
「ハート9」
父親が長い長い息を吐き、身体を椅子に鎮める。
娘は真顔になり、よもぎの方を向き、静かに言った。
【油断したねぇ?】
一呼吸区切った後、唐突に雄叫びを上げた。
【よぉぉぉぉーーーーもぉぉぉーーーーぎぃぃぃーーーーちゃぁああああああん!!】
自分の順番を待たず、娘は自分のカードを表返した。
【ハート10!10!10!10ぅぅぅぅぅぅ!!!】
“でぇえええええかぁしたぁ娘ええええ!!!これでぇ、我々の勝利だぁああ!!!”
父親ははしゃぎ、ダイヤの8を場に投げ捨てた。
『……』
【いやぁ~、ここまで良く頑張りまちたよ】
“聞こえますかな、観客の皆様方!もみじちゃんの健闘ぉを讃えて、大きな拍手を”
(プレイヤー:ジョナサン、マイナス3ポイント)
“贈ろうでは……”
上機嫌に周囲を煽っていた親子の、動きが止まる。数秒の沈黙のあと、機械に向けて絶叫する。
【ちょっと待ったぁ!!?今なんて!?】
(プレイヤー:ジョナサン、マイナス3ポイント)
アナウンスが繰り返されるが、二人は状況を飲み込めず、魚のように口をぱくぱくとさせていた。
沈黙の戻った場に、笑い声が響く。ジョナサンが二人を眺め、顔の前でひらひらとカードを振っていた。
『ハートの、K(キング)』
“あ、あ……!?”
『この‘ハーツ’はチーム戦。2人で得点カードを獲得しても、‘特殊ルール’は発動する』
【て・め・え……!】
(第4ラウンド、すべてのターンが終了しました。今回のラウンドの結果、羽波(はなみ)親子:マイナス0ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス26ポイント)
『よもぎが得点札をすべて獲得するつもりだったことに、オレは最初から気付いていた。だから、ハートの解禁(ブレイク)を遅らせ、数値の高いハートを最後に残していた。それだけの事さ。残念だったなあ、‘貴族’さんよ。あんたらの負けだ』
“私たちの……”
【負け…………?】
(三枝よもぎ&ジョナサンが、すべての得点カードを揃えました!特別ルールが発動し、羽波親子にそれぞれマイナス26ポイント、計マイナス52ポイントが科されます!)
よもぎとジョナサンの二人は、親子に指を突きつけると、同時に言い放った。
『「シュート・ザ・ムーンだ」』
【ぬぅぅぅぅぅうぅうぅぅぅぅううううううううううううくっそおおおおおぉおおおおおおおぉぉおおお!!!!!】
娘は絶叫すると、カードを床に叩き付けた。身体が崩れ落ち、地面に突いた膝が音を立てる。そして、
【あああああああああぁああぁぁあぁああぁあぁああぁああぁあぁあああああぁあああああぁぁあああああぁぁあああぁあああぁあああああぁあああああああぁああああああ】
地にうずくまり、拳を何度も何度も叩き付け、凄まじい金切声を上げた。
“ぐわぁああああああぁああぁあああああああああああ”
父親も頭を抱えたまま、身体を一回転させ、勢いよく床に倒れ込んだ。
(集計結果、羽波(はなみ)親子:マイナス149ポイント。三枝よもぎ&ジョナサン:マイナス97ポイント。片方のチームのマイナスが、100を上回りました。次のラウンドは行われません)
一呼吸置き、機械が高らかに読み上げた。
(ゲームセット。三枝よもぎ&ジョナサンの勝利です)
場内が、歓声に満たされる。
〈やった……!〉
《よもぎ!》
さくらと雪輝が、客席の柵を越えて、よもぎの元に駆けてくる。
「さくら姉(ねぇ)、ゆき兄(にぃ)!」
よもぎの顔に笑顔が戻り、腕を広げて二人を出迎える。ジョナサンも微かに笑みを浮かべ、立ち上がって三人を見守っている。
三人の姉弟(きょうだい)の手が、今触れようと――
場内に、乾いた音が響いた。
《がッ!?》
突然、雪輝がその場に崩れ落ちた。足から血が流れ、床に血溜まりを形作っていく。
「ゆき兄ぃ!?」
“動くなァ!!!”
振り返った先で、父親が血走った瞳でこちらを睨んでいた。手には銃を構え、その銃口からは硝煙が立ち上っている。
ジョナサンが構えるが、別の方向からも怒号が響く。
【動くなっつってんのが分かんねえのかド腐れェ!!まずそこのクソ奴隷どもから皆殺しにしてやろうか!?】
父親の反対側、数百人もの黒服を従え、娘がおぞましい形相を浮かべていた。黒服は全員銃を構え、よもぎ達四人に狙いを定めている。ジョナサンは舌打ちを一つすると、両手を上げた。
【調子こいてんじゃねえぞクソ奴隷がああああ!!!!】
黒服の一人から機関銃を奪い取り、よもぎ達の側に掃射する。机上の機械が壊れて飛び散り、カードが辺りに散乱する。観客は悲鳴を上げ、一斉に会場から避難し始めた。
〈約束を破る気なの!?卑怯者!〉
【うるせえ殺すぞ!!ちょっと優しくしてやりゃあとことんつけ上がりやがってえ!!】
「ゆき兄、ゆき兄ぃ!」
『おいおい、ずいぶんと話が違うじゃねえか』
雪輝に呼びかけるよもぎを横目に、ジョナサンが親子と対峙する。
“ふ、フヒヒ!おまえら、ほ、本当に信じてたのかぁ?ゲィムに勝てりゃ、自由になれるとぉ?こんなゲィム、ただの余興!てめえらを奴隷から解放だァ?んなコトする訳ねぇだろうがよ!”
臭い唾液を口から垂れ流し、父親が言い放つ。
「……!!」
“ゴミ屑の奴隷がどれだけ足掻こうと、所詮は奴隷でしかない!!てめぇらは俺らの思い通りになる、玩具に過ぎない!そういう筋書きなんだよぉ!”
【よくもいいように弄んでくれやがったな……この礼はたっぷりとしてやるぜぇぇ】
〈放して!〉
黒服が押し寄せ、さくらとよもぎを取り押さえる。さらにジョナサンを取り囲み、一斉に銃口を向けた。
【まずはてめえだ、鳩胸野郎ォ!バラバラのグチャグチャにして殺してやるぅ!!】
「止めて!」
よもぎが、娘と父に向けて叫んだ。
【命令すんなクソ奴隷がぁ!】
よもぎに向け、娘が発砲する。弾はよもぎの髪を掠め、その一部を千切れ飛ばした。だが、怯むことなく、よもぎは懇願する。
「私を、好きにしていい。だから、この三人には手を出さないで」
【はぁ!?ざけんな一人も逃す訳……】
“まぁ待て娘よ”
なおも銃を向ける娘を、父親が手で制した。
“奴隷とはいえ、殺すとあとあと面倒ぉだ。私らもちょっとエキサイトしぃ過ぎた。そもそも、よもぎちゃん一人が手に入るのなぁぁら、それぇで良かったじゃないか”
銃を降ろし、父親は舌なめずりをする。
“今後一生、私らへの絶対服従を誓うのなぁら、三人を解放してやる!”
「はい、誓います」
『よもぎ!』
声を張り上げたジョナサンの方へ、よもぎは一瞬振り向いた。微笑みを浮かべると、すぐに感情を消し、父親に向き直った。
“な、なら証拠を示してもらおうか。今すぐここで土下座しろぉ。地面に這いつくばって「平(たいら)様、舟(ふね)様、卑しい奴隷めが逆らって申し訳ございません。今後は身も心も改めて、毎日ご奉仕いたします」と言えぇ!”
〈やめて!代わりに私――うっ!〉
黒服に背後を殴られ、さくらは意識を失った。
「さくら姉!」
【うるせぇから少し黙らせただけよぉ。早くやれよ!クソ奴隷ェ!!】
顔に何重もの皺を浮き上がらせ、娘が叫び立てる。
よもぎが膝を折り、地面に手を突いた。手足の鎖が擦れ、鈍い音を立てる。
「平様、舟様、卑しい奴隷めが逆らって申し訳ございません。今後は身も心も改めて、毎日ご奉仕いたします」
身を縮こめて土下座し、よもぎは言われた台詞を述べた。
“へ、へへ、それでいぃぃぃんだ”
倒錯した笑みを浮かべる父親に、娘も下卑た本性を覗かせる。
【じゃあ次の命令だ。今すぐ服を全部脱げ!!】
「!」
“ちょっと娘ぇ、そんなことさせちゃうのぉ?”
【いいじゃない、どうせ、これから先、たっぷり拝むことになるんだからぁねぇ。オラ、聞こえてたろ、とっとと脱げよ!!】
躊躇しながら、よもぎは服の袖を外し始める。該当が外れ、下着姿になる。
【下も脱ぐんだよ!!早くしろよぉお!!!】
下着に手をかけたよもぎの表情が、羞恥に染まる。手足が震え、目の端に涙が滲む。
“こここれはたまりませんなァ!!さすがはわが娘ェ!”
【い、いいザマだ!!ウヒ、ウヒヒヒヒヒヒヒ!!】
目前の出来事を、ジョナサンは冷めた瞳で、ぼんやりと眺めていた。
『(いつだって、現実はこんなもんだ。大逆転のシナリオなど、そうは起こらない。ゲームとは違うんだ。だが)』
下着を降ろし、秘部を手で隠して、よもぎは泣き出してしまう。その目を、ジョナサンは見つける。
『(よもぎよ、おまえはそれでいいのか?姉弟(きょうだい)のために自分を売り渡して、それでもお前は構わないのか?おまえの魂も結局、‘奴隷’のままなのか?)』
“だめじゃないかよもぎぃちゅわぁぁん。一番大事な所を手で隠しちゃあぁあ!どれ、ひとつ私が外してあげ……い、いや、ここはお前に譲ろぉう”
【あら、どうなさぁいましておジジイ様ァ?】
“う、後ろよりまずは前から慣れたぁ方がいいだろぉ。そ、その方が反応もいいしぃなァ、ホヒヒヒヒィ!!”
【あら、それは私も同じでしてよぉ。まずはてめえが手ほどきしてやるのがいいんじゃないかしらぁ】
「……」
【ん?】
「……せめて、舟様に……」
よもぎが、消え入るような声を漏らす。
“おいおい娘ぇ!本人からリクエストゥだぞぉ!!”
【仕方ないなあ、たっぷり可愛がってやるか、イヒーヒヒ!】
娘が鼻息荒く、両手を伸ばし、よもぎに近付く。よもぎは涙を流したまま、俯いて動かない。
ジョナサンは溜息を漏らし、目を閉じた。
『(オレの、見込み違いだったか。まあ、ハーツの試合が楽しめただけでも良しと……)』
【がぁあ!?】
娘の悲鳴に、ジョナサンの瞳が開かれる。
「動くな!」
娘が自分に触れた瞬間、よもぎはその手首を掴み、背後に組み付いた。娘を盾にとり、隠し持っていた櫛(くし)を、娘の首元に向ける。
“ななななんだとぉう!?”
【こんのガキヤァアアアアアアアアア!!?】
「撃ってみろ、こいつもろとも巻き添えにしてやる!」
櫛の鋭利な先端が娘の皮膚に刺さり、血を滴らせる。
【て、てめぇ!くそっ、このガキ、どこにこんな力がぁ!?】
「これも、筋書きのうちか?」
父親に向け、よもぎが低く呟く。
“へ、へぇ?”
「奴隷は、奴隷でしかない?お前たちの、思い通りになる?ふざけるな!!!」
爆発の如く空気をつんざく怒声に、その場の全員が体を慄(おのの)かせる。
「僕(、)は認めない。餌にされるだけの終わりなど。死んだって、お前らになんて屈するものか……!」
“わ、わわ分かったから、ご乱心はやめちくりぃ!!”
「今すぐ僕たちを解放しろ!!でなきゃこいつの首を!」
【ちょおムカつくんですけどおおおおおおおおおおお!?】
『ははははは!』
鳩胸を揺らし、ジョナサンが豪快に笑った。黒服が警戒を強めるが気にも留めず、よもぎを見つめる。
『気に入ったぜ、よもぎ!それでこそ、オレが見込んだ男(、)だ。どれ、オレも一肌脱ぐとするか』
その時、銃弾がよもぎの櫛を射抜き、弾き飛ばした。
「ぐっ!」
“ハッハア!黒服の一人に客席から狙撃してもらったのだよぉ!こんな危険な奴隷はぁもういらん、死ねぇ!”
刹那、よもぎの目前に光が煌めく。訪れる衝撃に、よもぎは目を閉じた。
◇
「(身体が浮いている。僕は、死んでしまったのか?)」
恐る恐る目を開く、その先に、翼が広がっていた。
“【あああああああああいいいいいいいいい!!?】”
何が起きたのか、親子には理解できなかった。
よもぎを取り囲んでいた大勢の黒服が、全員地に倒れ、意識を失っていた。
『なんでえ、ちょっと音速で撫でただけだぜ?ヘタレが』
その先、唖然とするよもぎを抱え、ジョナサンが立っていた。ジョナサンの背からは、視界を覆い隠すほど巨大な、双(ふた)つの翼が生えている。
【ななななんだこいつは!?撃てえ!!】
慌てて娘が、残りの黒服に命じる。無数の銃弾が放たれる直前、ジョナサンとよもぎの姿が掻き消えた。
“どど、どこ行ったあ!?”
『遅い遅い。遅すぎてあくびが出らぁ』
【はぁーーー!?】
背後を振り返ると、ジョナサンが翼をはためかせ、宙に浮かんでいた。
「……!」
『おっと、今は喋るな、舌噛むぜ』
ジョナサンに向け掃射が放たれるが、ジョナサンはまたも一瞬で掻き消え、ステージの中央に立つ。
『さて今度は、こちらからいくぞ』
風を切る音が響くと同時に、ジョナサンは親子たちの背後に移動する。たったそれだけの動作で、黒服の半数が倒れていた。
“な、なぜ、奴が動いただけで、黒服がぁ!?”
『ちょっとスピードを緩めてやるから、少しは楽しませてみろ』
【撃てぇー!撃ちまくれェえええええーー!!】
飛び交う銃弾の中を器用にすり抜けながら、ジョナサンはよもぎに語りかける。
『この速度なら、喋っても大丈夫だ。大丈夫か?』
「あなたは、一体……?」
『自由を往く鳥さ、カモメではないがな。っと、とりあえずこれ羽織っとけ』
よもぎで裸体なのに気付き、器用に自分のマントを外して渡す。
『さて、オレは今、このまま飛び去っても別にいいと思ってる。オレの一番の目当ては、何を隠そうお前だしな』
「でも、さくら姉とゆき兄が!」
『正直、オレにはその二人を助けるメリットは、ない』
「……二人を、助けてくれ、お願いだ」
『オレは聖人君子じゃないんでな。行為には代価を求める。その見返りとして、お前は何を提供できるんだ?』
「それは……」
『浮かばないのなら、オレから提案しよう。二人を助けて欲しければ、よもぎ、オレの餌となれ』
「!」
『ま、そういう事だ。人間、そう簡単に筋書きから逃れることはできんのさ』
「……違う」
『ん?』
「僕があなたの餌になるんじゃない。僕が、あなたを選ぶ。これは、僕自身の意志だ』
『!』
「連れて行ってくれ、ジョナサン!」
『……ははははは!!』
双つの翼を揺らし、ジョナサンが大声で笑った。そして、よもぎの瞳を覗き込む。
『いい解答だ、反逆の心(ハーツ)を持つ者よ。ますますオレ好みだ。よし、交渉成立だ!口を閉じてしっかり掴まってな!』
ジョナサンの速度が、再び音速へと達する。
“クソ鳩胸野郎が、効き目がねぇえ!?”
瞬く間に次々と倒れ伏していく黒服の中を、親子は必死で駆けていた。
【オヤジ、私に策がある!ヤツが黒服に気をとられているうちに……!】
娘の耳打ちに、父親が瞳を輝かせた。
『ふう、こいつらで終わりか?』
一方、ジョナサンとよもぎは黒服を全滅させ、舞台の上にいた。
『あれ、あの親子はどこに』
“そこまでだぁ!”
声の先には、父親と雪輝が。父親は雪輝の喉笛に銃を突きつけ、こちらを見て笑みを浮かべている。
『なんだそりゃ?脅しのつもりか?』
【ああ、その通りよぉ!】
反対側からも声が響く。振り向くと、娘もさくらのこめかみに銃を突きつけていた。
「さくら姉、ゆき兄!」
“いくらてめえでも、ダブゥルで対応はできねぇだろう”
【動くなよ、その目障りな胸に風穴開けてやるわ】
ジョナサンの頬を、一筋の汗が伝う。
『カッカすんなよ。どうだ、そんなことよりもっかい‘ハーツ’でもやろうじゃねえか』
“断ぁる”
親子それぞれが、銃口をジョナサンに向ける。
“ゲームセットだ、死ねぇ!”
『そりゃ残念だ』
ジョナサンが呟いた直後、遥か遠くから銃弾が飛んできて、親子の銃を弾き飛ばした。
【なぁ!?】
『遅いぞお前ら。だが、収穫は上々のようだな』
会場の外から、大きな袋をいくつも抱えた老若男女が、会場内に押し寄せた。全員の衣服に、ジョナサンの帽子と同じ羽があしらわれている。中には、背に翼を生やしている者もいた。大勢に銃を突きつけられ、親子は混乱に陥る。
【何なのこいつらぁ!?】
『帝国の資本家層(ブルジョワジー)共からたんまりいただいた、という訳さ。この、宇宙海賊ジョナサン一味がな!』
三角帽の羽を揺らし、ジョナサンは鳩胸を張る。
“こ、こんなことぉ!!”
『私の筋書きにない、とでも言うつもりか?残念だったな。最初から、オレの筋書き通りさ。さ、二人を返してもらおうか』
“ぐ、ぐ……!うぉおおおおおお!!!”
【今日はこのぐらいにしといてあげますわ!!あばよ!!】
捨て台詞を吐き、親子は一目散に会場の外へと駆けていった。後を追おうとする部下を、ジョナサンが制する。
『放っておいて構わん。それより、あの兄ちゃんと姉ちゃんの手当てだ』
そう言い、ジョナサンは雪輝とさくらを指差した。
『二人とも、こいつの大事な家族だからな。丁重にもてなしてやってくれ』
よもぎが、ジョナサンの顔を見上げた。
『さて、あんまり長居してたらサツが来る。出発だ!』
そう言うと、よもぎを抱えたまま、ふたたびジョナサンは飛び上がった。他の船員も歓声を上げ、さくらと雪輝を保護し、ジョナサンの後に従った。
◇
賭博場を脱出した親子は、宇宙船に乗り込み、命からがら脱出した。
【このまま引き下がるのぉオトン!?】
“んな訳あるかぁい!!屋敷に戻るぞ、人員をもっと雇って、あいつらを皆殺しに……!”
(羽波平(たいら)様、羽波舟(ふね)様ですね)
“な、なんぞぉ!?”
二人の乗る船の前方に、巨大な戦艦が立ち塞がっていた。
(賭博場事務局の者です。これより、あなた方二人を拘束させていただきます)
【……はぁーーーー!?なんでだよ!?】
(ゲーム中の通信・盗視・手札操作の違法行為に加え、会場内での暴動。当賭博場の規則に従い、会員資格の剥奪に加え、懲罰を受けていただきます)
“ふざぁけるな、そんなものに従う必要はなぁい!”
吐き捨てると、父親は船の進路を大きく逸らし、戦艦から逃れようとした。だが、戦艦から光が放たれ、二人の船を包囲した。
“がぁああぁあぁああぁああぁあ!”
【ちょお痛いんですけどぉおおおぉおぉおおぉおぉ!!】
親子の体を光が包み、強烈な電流が走る。
(これは強制です。あなた方に拒否する権利はありません)
【て、てめぇらぁ、私たちの味方じゃないのかよぉ!?】
(我々は、勝者の味方です。あなた方も、かつては勝者だったかもしれない。だが、今は敗者。説明は以上です)
“は、放せ!放せェええええええええええええ!!!”
【ち~き~しょ~お~!!!】
親子を乗せた船は、戦艦の中、深い闇へと吸い込まれていった。
◆
「ジョナサン、どうして僕が、男だと?」
『まあ、オレも似たようなものだからな』
「やっぱり、ジョナサン……女の人なんだね」
鳩胸にしては柔すぎる感触に、よもぎは顔を赤く染める。
『厄介なもんだ、心(ハーツ)ってのは。持てば持つほど、身体は重みを増しちまう』
「……」
『だが、心(ハーツ)をとことん突き詰めて、運命の人(スペードのクイーン)と巡り逢うことさえできりゃあ!皓々(こうこう)たる月の世界まで、ひとっ飛びって訳だ!かの偉大なる冒険家、シラノのようにな!』
子供のようにはしゃぐジョナサンに、思わずよもぎは噴き出した。
「月か。昔はよく、家族で眺めたな。奴隷として連行されてからは、もう一生見れないんじゃないかと思ってたけど」
夜空を横切る、二人の視線が交わる。
「不思議だね、ジョナサンとなら、月にだって行ける気がするよ」
『ふむ、月か。悪くないな。よし、次の目的地は月だ!』
「え、ええ!?」
『せっかく婿を手に入れたんだ、そこで蜜月(ハネムーン)と洒落込もう』
「ちょ、ちょっと?‘餌’ってそういう意味なの?」
『当然だろ、それとも、オレのような運命の人(スペードのクイーン)は嫌か?』
不安気に自分を覗き込むジョナサンに、よもぎの胸が跳ね上がる。
「そ、そんな事ないけど」
『なら決まりだな。いざ、月世界旅行(シュート・ザ・ムーン)!』
「ってちょっと、速度緩めてぇ――――!」
その後、月世界でよもぎは無事、ジョナサンに召し上がられた、という事である。
(おわり)