しこうけいさつ24じ・広報部

カップリング二次創作の個人サークル「しこうけいさつ24じ」(代表:眠れる兎6号)の活動記録や、日々の雑記など。(Twitter:@nemureruusagi06)

留学中のできごと。

2014年9月から、

中国の武漢大学に留学しております。

その留学中、印象的な出来事があったので、

反省も兼ねて書かせていただきます。

武漢大学では毎年11月に

「国際文化祭」なるイベントがありまして。

武漢へと留学に来た

各国の留学生が国ごとに分かれて、

屋台やら出し物をする学園祭です。

僕と同じように

武漢へ留学している日本人の方たちも、

「屋台で日本食を売ろう!」と

参加することになりました。

…のですが、正直に申し上げると

自分は乗り気ではありませんでした。

準備期間や人数が少なかった

(2週間足らず、十数人)ことに加え、

屋台は屋外で、ガスも火も使えず

冷蔵庫もない厳しい環境。

そんな状況の元で、

「手巻き寿司を作ろう」

「文化祭が始まる直前に宿舎で作って、

会場へと運んだらいい」

話し合いで出てくるアイデア

実現できるとは到底思えませんでした。

しかし、中心となって動く方々の

熱意は凄まじく、

通販を駆使して大量の材料を揃え、

なんと、前日に夜通しで調理して、

当日に間に合わせるという計画に出ました。

前日まで何も関わらなかった自分も、

人手が足りないとのことで、

「絶対間に合わないだろ…」と

内心嫌々ながらも調理に加わったのですが。

他の日本人の方々が

根気よく調理を済ませ、

本当に一晩で何とかなってしまいました。

本題はここから。

いざ文化祭当日、会場で販売を始めた時、

僕たち日本人の屋台の近くで、

ずーっと一日中、こちらを見たまま

立っているおじさんがいたのです。

こちらに話しかけてくるでもなく、

何かを買うでもなく、

ただ屋台の側に立っているだけ。

誰かの知り合いでもありません。

当時、屋台では客寄せのために

日本人の女性たちが

コスプレで売り子をしていて、

それを目当てに、写真を撮ったり

話しかけたりする人も大勢いました。

なので、その人に対して

「不審者?」「誰かのストーカー?」と

皆が警戒心を抱いていました。

二日目はあいにくの豪雨で、

皆、雨対策に追われつつも

懸命に屋台を切り盛り。

前日のおじさんは、雨にも関わらず

傘を差しながら離れて立ち、

やはりこちらの屋台を見ていました。

二日目は自分も屋台に立ったのですが、

どん臭い上に人見知りなため

ろくな力にもなれず。

必要な食材を宿舎へと取りに行けば、

戻った頃にはすでに文化祭が終わっていたりと。

失敗を繰り返して

かえって皆の足を引っ張ってしまい、

暗澹たる気分でいました。

それでも後片付けを手伝おうと

屋台の中に入ろうとした時、側に人影が。

それは昨日に一晩中立っていた

あのおじさんでした。

豪雨にも関わらず、おじさんは傘を差して

やはり無言で立っていたのです。

その時、自分はその人影が

そのおじさんだと思わず、

ほぼ無意識に一言挨拶をしました。

言ってから気づいて、

「話しかけない方が良かったかな」と

不安に思いつつも、

片付けを始めます。

ところが、ダンボールを持ち上げた時、

雨で湿っていたせいで破れ、

中の缶詰を盛大に地面へぶちまけてしまいました。

気まずく思いながらも広い上げると、

突然、先程のおじさんが近付いて

落ちた缶を拾うのを手伝ってくれました。

予想外の行動に驚いたことに加え、

近くの机には売り上げのお金が

置かれていたこともあり、

その時は、おじさんに対して

警戒することしかできませんでした。

そこから、おじさんは少しずつ

僕や他の日本人へと話しかけ始めました。

皆も警戒していて、そっけなくあしらうばかり。

自分はと言えば

「他の人を巻き込んでしまった…」と

情けなくうろたえるしかできませんでした。

何とか片付けも終わって、

帰りのバスへと乗ることになったのですが、

混んでいるため、分かれて乗ることに。

自分はそのおじさんのことで

トラブルが起きないかと心配だったので、

柄にもなく最後まで残ることになりました。

責任者で、中国語も流暢な

日本人女性と二人、気まずく屋台で待機。

その間も、おじさんは

近くで話しかけてきていました。

当初、自分はそのおじさんが

女性目当てだと思っていたので、

「無視を続けて帰ってもらおう」などと

考えていました。

しかし、何やら様子が違うことに気付きます。

そのおじさんは女性だけでなく

自分にも話しかけてきているのです。

そして、たどたどしい日本語でこう言いました。

「私は、日本が好きです」

そう言い、取り出したスマートフォンSONY製。

画面を操作して、流れ出す小田和正の曲。

(この人、もしかして

本当に単に日本が好きなおじさん!?)

こちらが冷たい反応をしても、

おじさんは懸命に話題を探し、

訛った日本語で話しかけてくる。

試しにこちらからも中国語で質問してみると、

現地の会社員だとのこと。

身元不明の怪しい人ではなさそう。

それでも警戒は解ききれなかったので、

skypeや電話番号を尋ねられても、

はぐらかしたのですが。

最後にはあんなに白眼視していたことが

申し訳なくなって、

バスに乗る直前まで会話をしました。

おじさんと別れて、

バスが発車してから立ち上って来たのは、

ごちゃごちゃした感情でした。

助けてもらったのに、

結局そのお礼を言いそびれたことへの後悔。

おじさんに話しかけれられる中で、

「少しはお相手してやるか」と

内心は上から目線で

偉そうに接したことへの自己嫌悪。

かといって、

結果的に無事で済んだから良かったものの、

結局一緒にいた女性には

多大な迷惑をかけてしまった上、

本当に危ない人だったら

もっと被害を

拡散させてしまっていたかもしれないという反省。

そして、ここからは勝手な想像です。

あのおじさんは本当に日本が好きで、

日本人と交流したいと

思っていたのではないかと思います。

じゃあ、なぜ普通に、

文化祭の時に声を掛けてこなかったのか。

それは、人見知りと言いますか、

たくさんのお客がいて

ワイワイ賑わっている状況に、

気後れしてしまったのではないかと思います。

近寄りがたい。でも接してみたい。

それが、「じっと一日中立ち続ける」

という行動になったのではないかと。

(にしても、極端な気はしますが)

自分も過去に似たようなことを

やってしまっているので、

あのおじさんに自分を重ねてしまって。

何とも言えない哀しさを感じました。

結局真相は分からないままなのですが。

当初おじさんに連絡先を聞かれた時、

警戒して「中国なのでネットを使えない」と

嘘をついてしまったので、

別れ際に

「自分の氏名だけを教えて

facebookで検索してもらう」という

非常にフワッとした連絡先交換をしました。

再び交流する機会があるのかは分かりませんが、

もしまた話せたら

本当のところを確かめられればと思います。

つくづく、人間関係の難しさを

痛感した2日間でした。

雑文をご覧くださり

ありがとうございましたm(__)m